中国大河「さらば、わが愛/覇王別姫」を「国宝」批判に使わず。文革への怨念の結実と知る「 私の紅衛兵時代」。 項羽の運命は性格「優しすぎる店長が劉邦から学んだ人材マネジメント術」「侏儒の言葉」

国宝」大ヒットのおかげで、八月驟雨の如き短期再上映と聞き。

4Kリマスター↑をスクリーンで鑑賞すべきと、中央をポチッと陣取る。
カンヌ最高賞と、評判良く招待されただけの違いも有り、
本作と比較して、「国宝」の評価を落とすのは、可能と思う。
が、その手段に全く同意出来ず、この目で確かめて判断することにした。
 
 
 
 
174分は全く退屈しません。身動きも憚られ、
大河ドラマはかくあるべし。とグッタリ。
 京劇の演目をモチーフに、 
 激動の時代(張作霖北京政府から、四人組失脚まで)を縦軸とし、
 横軸は、役者の愛蔵渦巻く三角関係。
惜しみなくリソースを大量投入し、見事に描き切る。 

因みに、
三幕ものと違って、
大河ロマンの映画では、どうしてもダイジェスト味は出てしまう。 
どの作品であれ、これは形式の宿命としか言いようがない。
前提として、ダイジェスト味については問題にしない。
 
  
ミッチミチの密度は凄いのだけど、大味な印象は否めない。(後述)
好みですけどね。私は若干、苦手です。
「国宝」が好きなら、
より濃い味付けの本作を、尚のこと好むのは、分からなくもないか。
 
何にせよ、
胃もたれするけど、満足度は高い。圧倒はされます。
映画館で観るチャンスが有るなら、観ておいた方がいいな。
もう当分、この様な映像は作る事できないだろうし。(後述) 
 
 
以下、
項目に分けて、詳細を語ります。
 1.陳凱歌の文革への怨念
 2.陳凱歌の特徴、作劇の方針
 3.”覇王別姫”の故事
 4.1993年という時代
 5.「国宝」との比較について

本作の背景のまとめ、特に原作との違いについては、
以下の記事↓が良く。なるべく重複は避けます。
『覇王別姫』~歴史、京劇、小説、そして映画『さらば、わが愛』
 
 
 
1.陳凱歌の文革への怨念
 鑑賞後、youtubeも検索したのですが、あまり成果が芳しくなく、
 (町山さんは、まだ映画評論が本業の頃のはず)
 毎度の参考です。監督の文革に対する思いに言及したレア物↓。
 
 また演出について関心あるレビューも、他に見つけられず。
 
 え、その時代を実際に生き抜いたのか、、
 Wikiで陳凱歌監督の衝撃の人生を知る。

紅衛兵世代であり、
文化大革命時には反革命分子とされた父親を裏切って糾弾した。
その後、地方に下放に出された。

 マジっすか、リアルジーク!!!
 
 Kindleに無いので、読書感想↓を引用します。

著者は紅衛兵の一員として、実の父親に対する糾弾会に参加し、
父親の肩を手で突き、身体を倒しました。
今も、そのことを悔恨の情を抱きながら思い出します。
父は避けようとしたが、途中でやめ、腰をさらに深く曲げた。
周囲の人々は快感で熱く火照った視線を著者に送った。逃げることも出来ず、ヒステリックに何かを叫んだ。
著者14歳、父50歳のときのことです。
父を突き倒そうとしたとき、強くて威厳のあった父が、本当は弱い存在にすぎないと気がついた。
14歳で、もう父を裏切ることを知ったことになる。
そのあと、本をほとんど全部燃やした。
福岡県弁護士会 弁護士会の読書より》

 
 前提知識無く観て、ちょっと違和感を感じたシーンでしたよ。
  政治思想と妻の過去は、何の関係も無いじゃん。 
  日本だと、「紺屋高尾」の例は有るし、ああ古典芸能は弾圧の対象か、、
 などと、脳内は倒錯して、
 
 原作に忠実とのことですが、
 随分と怨念の籠もったシーンで、衝撃を受けておりました。
 成程、そんな事情が有ったのか、
 ダルトン・トランボの赤狩りを凌駕する凄み。

 日本も関連もしており、歴史は既知と想定して、全く予習してませんでした。 
 油断しましたね。
 改めて、毛沢東と紅衛兵の残虐を復習↓。
 
 中国共産党の過去を批判するのは、右に限定されるから、本作の解説少ないのか?
 
  ”運命には逆らえない” セリフの重みは、そういうことだったのか。。
  
 レスリー・チャンがコン・リーの過去を、民衆の前で暴露するシーンでは、
 単に、愛憎ゆえと観てしまいました。
 国民党に糾弾されても、
 関東軍の悪口さえ言わず、保身に走らなかった高潔が、、
 洗脳された群衆の前では、人間の弱さそのままに仲間を売る。
 
 実体験に基づく、文革の凄まじさが伝わります。
 2025年の現在では、こんなシーンは、もう撮れないな。(参照4.)
 
 朝日新聞を筆頭に日本のマスコミも、最初はポル・ポト礼賛してた気がする。
 
 
2.陳凱歌の特徴、作劇の方針
 前出の動画の評にもあるように、
 監督は、小道具の使い方が上手い。まさに”チェーホフの銃”。
 裏切った弟子が転落する、装飾品は言うに及ばず、
 コン・リーの衣装や靴は象徴的で、
  その生涯、
  遊郭から飛び降り身請けされてから、夫に裏切られ絶望するまで。
  を能く表わし。
 
 掘り出し物の剣は、
  主人公同様に、数奇な運命を辿る。
  演目が「覇王別姫」(参照3.)では、結末は最初から決まっている。
  ラストは原作を改変とのことですが、作劇上は一択でしょう。
   ”運命には抗えない”
  多くを語らずとも、命運尽きたことを自ら察する。
 
 本物↑同様、
 もっとたっぷりレスリー・チャンに、踊って貰っても構わないけれど、
 ラストの圧巻は流石に、「国宝」とも比べてしまった。
  
 まあ、
 何かとミッチミチの密度で、凄いけど、
 大味な印象も否めないとも思う、余白を残すというよりは。
 ダイジェスト味とは関係無く、陳監督の演出の特徴でしょう、
 微妙な感情の変化よりも、ダイナミズムを重視している。 
 
 その結果、
 ”いちいち叫ばなくていいよ” って言いたくなったりも。
 一筋の涙とか有るものの、
 抑制の効いた表現という印象は無いかな。 
 
 明確に、コントラストは強いのが特徴と思う。
 
 
3.”覇王別姫”の故事
 冒頭付近で、劇団の小僧達がマシン軍団のようにワラワラ、
 ”力は山を抜き 気は世を蓋う” と合唱。

 ああ、教科書で昔、習ったよ。
  ”虞や虞や 汝を奈何せん”
 予習してこなかったので、そこで演目の中身を知りました。
 当然、
  劇中のレスリー・チャンと、(実際でなく)
  劇中劇の美人のラストシーンは同一と、
 私は予定しておきました。
 選んだ演目に必然性が無いはずはない。
 
 虞美人草は芥子の仲間らしい。知らないことばかり↓。
 
 美人とは見た目ではなく、側室の位のことらしい。
 とはいえ、
 
 化粧を落としても、画面に映るのだから、
 ひときわ偏差値の高い顔面でなくばなるまい。
 しかも儚い。
 レスリー・チャンありきの作品で、
 わざわざ彼一人だけ香港から呼び寄せたのも納得。
  
 鑑賞中、
  まもなく文革がやって来る。美人の命運は風前の灯火だろう。
  軍の統制など、比ぶべくもない野蛮な暴力の嵐が、伝統芸能を襲う。
  チンタラすんなよ、
  遅くとも、毛沢東が権力を完全に掌握してしまう前に、
  香港にでも、さっさと亡命しろよ!
  北京から逃げろ、運命に抗えよ!!
 
 と、未来から忠告したくなってしまう。 
  ”8月に広島行っちゃダメだって”   
  
 かつて鑑賞し↑、味わった感覚に、まったく同く襲われた。 
 陳凱歌監督が描きたかった、抗えぬ運命が、
 まさにその文革の時代とも知らず。
 
 しかし個人的には、納得行かない事も有り。
 側室の運命はどうにもならんが、
 項羽本人は、
  ”運命は性格” としか言いようがない。
  ”負けに不思議の負け無し
 突出した花形プレーヤーであるが、
 マネジャーとしては、漢の高祖に及ばない。
 
 我より優れたる者に囲まれる術を知る者が、勝利を得た。

項羽はカリスマと武勇で人々を惹きつけたが、部下を信じ切れず、最終的には孤立した。
一方、劉邦は凡人だからこそ人を頼り、人の力を最大限に引き出した。
軍略は張良に任せ、実務は蕭何に任せ、戦場では韓信を信じて軍を動かした。
自分にできないことをできる人に渡したからこそ、組織が大きくなっても崩れずに持続したのである。

 対照的に覇王の、優秀であるが故の人事下手が際立つ。

項羽は有能な部下を信じ切れなかった。
功績を挙げても妬み、疑えば切り捨てた。
その結果、人材は離れ、劉邦の陣営に流れていった。

 天下統一に必要な能力は何かを見誤ったまま、運の無さを敗因とした。 
 言うことがまるで真逆だと、 
 プロ野球の名将の金言を思い出した。それは剣の達人からの引用だったのか。

 
4.1993年という時代
 同様に、文豪の至言もギリシャの哲人が元だと習う。
 

運命は偶然よりも必然である。
「運命は性格の中にある」と云う言葉は決して等閑に生まれたものではない。

 お、芥川龍之介はマルクス主義を牽制していたのか、

若し如何なる小説家もマルクスの唯物史観に立脚した人生を写さなければならぬならば、
同様に又如何なる詩人もコペルニクスの地動説に立脚した日月山川を歌わなければならぬ。
が、
「太陽は西に沈み」と言う代りに
「地球は何度何分廻転し」と言うのは必しも常に優美ではあるまい。

 唯物史観をポリコレに替えれば、予言そのもの。
 
 監督は今も現役で映画を撮る。
 直近の作品は、2023年に公開↓された。
 
 朝鮮戦争当時、中国人民志願軍の奮闘を描くものらしい。
 やっぱり、運命は性格だと思う。
 
 2025年現在では、
 人民軍の快進撃は描けても、文革の凄惨さは描けまい。
 (反日プロパガンダ的に日本軍を描かないのも、もう無理だろう)
 少なくとも中国では。日本でも妨害されそう。
 町山さんのみなならず、最近の世間の評を眺めても、
  戦争軍事独裁政権が右派だと、テンプレートな意見は未だに見掛けるけれど、
  人民の楽園への批判は、本作リバイバル上映に対して、見つけられなかった。
 
 1993年本作公開
 1997年香港返還
 2014年雨傘運動 
 2020年香港国家安全維持法施行
  
 中国、台湾、香港合作映画が可能だった時代も存在したが、
 今では無理どころか一国二制度の香港すら無い。
 
 
5.「国宝」との比較について
 火鍋としゃぶしゃぶを比べる意味があろうか?
 
 
 確かに、
 本作のオマージュと分かるシーンが「国宝」に散見される。意図的と思われ。
 とは言え、
 それで「国宝」下げの理由に、本作を使う気にはならない。
 
 役者陣は、どちらも凄いのだけど、
 火鍋の方が喜怒哀楽がハッキリしてる。きっと微妙な表現は求められていない。
 濃い味付けが好みなら、「国宝」よりも本作を好む。
 しかし、だからと言って、
 少なくとも、吉沢亮がレスリー・チャン以下とは思わない。 
 演技も顔面も。
 
 因みに、
 李相日監督は、
  本作 → 陳凱歌監督&コン・リー → 「始皇帝暗殺」 → 吉沢亮
 と主役を連想した気がする。
  
 
 まあ、とにかく、 
「国宝」の不満を語るなら単体でやる。
 欠点は以下と認めるなれど、比較は不要かと。
 テーマ
  主人公は、言うほど(玉三郎ほど、舞踏田中泯ほど)芸一筋ではない。
 脚本
  原作からサブエピソードを削るなら、もっと削りたい。伏線でもない。
  伝統や一門を守る重責や、跡目争いのドロドロ、のドラマは描かれない。
  ドサ回りから復帰の物語の必然性が弱い。
 演出
  舞台のシーンで、アップ多用や劇伴を流す、センス皆無。
  せめてラストは踊って終わろうよ。アップばかりじゃ説得力に欠ける。
  
 あ、いや流石に、
 本物の”国宝”の人生↓とは比較してしまった。
 奇跡の女形、坂東玉三郎が歩む芸道一筋の70年

鬼を伝えるって書くのね、魂って。
どういうふうに考えたとか、どうやってこの仕事になったとか、何が好きとか。
そういうことは、生まれてきた時に宿った魂なんだと思うんです。
魂については、しゃべれないということが分かってくるんですね 

 覚悟ガンギマリなインタビュー動画↑を先に観てしまうと、
 フィクションの物語は、”悪魔に魂を売った” という程でなく。。
 
 まー、、確かにね、
 文革を描く陳凱歌の”凄み”と比べてしまうと。
 しゃぶしゃぶのテーマが薄味に感じてしまうかもしない。
 (本作の脚本だって、上手かというと疑問だけど)
 
 それでも例えば、
 歴史を背景に、男女の三角関係を描く大河ドラマだからと言って、
 本作を貶す為に「風と共に去りぬ」を持ち出さない、私は。
 
 
 表面上は別に見えて、テーマはこの2作品の方が近い。
  三角関係の一人が亡くなる。
  残った二人が対峙、
  どちらか一方が、二人の関係に決着つけて退場エンド。
 「国宝」は似てないんだよ。「ガラスの仮面」や「あしたのジョー」だもの。
 
  
 火鍋としゃぶしゃぶより、カレーと肉じゃがの方が似てる。
 で、
 しゃぶしゃぶが口に合わないなら、それはそのしゃぶしゃぶの問題。
 と、結論付けました。
  
そして、この火鍋だって完璧ではない。
大味で濃い。それは欠点でもあるけれど、
凄さが全て凌駕する。
   
 
 
男性の化粧は、この頃からか。

ヒットメーカーの作詞が光る。別れは感謝の言葉で。  
 
 
 
2025.08.31 現在
 アメリカの数字を受けて、20MAを割り込んだようです。
 月曜の東京市場は、このまま割り込むか、反発するか、
 落ち着いて、見極めて、
 遅れ気味で構わないから、保険の買い玉建てたい。

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