コンビニもファミレスも図書館もスーパーもあり、駅にはWIFIも飛んでいる。
これを都会と言わず、なんと形容しよう。
ああ、山都の山際で暮らすということ。日常を再確認してしまった。
まあ、都会というより、
小規模な地方都市という方が、平均的な感覚でしょうけど。。
でもね、山都に無いが有る。アルとイイナが在る。
需要っつーか、存在って偉大だな。
[2016.09.22]
秋分の日なのは偶然だ、連日の雨天で、この日に喜多方に行きを決断した。
郵便局で出来ない支払いをコンビニでせねばならない。
ついでにお金も降ろしとこ。
大型スーパーで安い焼酎も買おう。
何より、たまには紙の本も読んでみたいし。。
今朝は曇天。
増水は治まっているよう。
7時台の電車で、喜多方駅を降り、
コンビニへ、というかその隣のファミレスで朝食だ。
ああ、都会な風景だなぁ。交通量が違えば需要が違うものね。
新聞を読んで、図書館の開館を待つ。
500mlの安ワイン(430円)と大盛りポテト(322円)、
100円のプラスでドリンクバー。
需要の拡大は便利が無限に原価に近づきながら起こる。
お金刷ればデフレが終わるという幻想を裏切りながら。
だって、人口減少は下りエスカレータだもの。
情報はタダに近づく時代、久しぶりに紙の新聞を読む。
文殊とインフレターゲットが一面に踊る。
マスメディアが報じる転進という名の撤退のロイヤルストレートフラッシュを堪能しつつ、
ちょっと酔った。
ドリンクバーのティーパックで酔いを醒ます。
10時を過ぎて移動開始、コンビニ立ち寄ってから、
小規模とはいえ、図書館があるなんて都会だなぁ。
紙の本を久しぶりに読む。
yes! 喜多方市民なのでカードも作った。
午後から降り出した為、あがるまでここで過ごすことにした。
郷土の美術館とか行こうとしてたが、次回に持越し。
この日はさほど収穫なくて、
強いて言えば、、
最近、経済的自由の次は精神的自由かと志向が向かってる。
ワタクシ最小労力での経済的自由は実現させた。
行きたいとこに行き、食べたいもの食べて、起きたい時に起きる。
我慢料のために会いたくない人に会ったり、言葉を飲み込んだりもしない。
たまに物件の現場には行くが、基本制約なく生きている。
が、精神の自由はそれでも訪れないので、
脳の改造が必要と思うに至った。
知覚したことと反応を分けないと、やはり解放はされないらしい。
ノープランで反権力な方々の依存がなぜ嫌いなのか解説されてた。
同族嫌悪だ。
龍之介師は看破して、
社会は社会の都合で生きているのに、「私の為になんとかしてください」は甘えだという。
渇愛というものの一種らしい。
オレは幼稚な大人にぐるりを囲まれた自分の人生を憎んでいる。
彼らの社会への不満よりも、
そんな大人を平然と排出する社会への積年の憎悪と怨嗟の方が、
幾億倍もどす黒くて、深いと自分で知っている。
それは渇愛。
甘えだそうだ。自分のことは自分でなんとかしなくちゃ。
人間だもの、人はその人の都合で生きている。
オレを満足させる為に居る訳じゃない。
認知と反応は分けなきゃ。
更に、引き寄せは望みのフォーカス次第だという。
エイブラハム師答えて、
そのものにフォーカスすればそれが手に入り、
その欠損にフォーカスすれば、その欠損を得る。
確かに、思考は現実化する。
去年一年のダメージをつくづく思い出す。
ろくな人が居ないと言ってりゃ、「ろくな人が居ない」が手に入る。
ハイレバレッジで高いパフォーマンスの理由を理解した。
ダメを見つけては、ダメを複利で雪だるま式に運用していた。
時間の経過ととともに、指数的にダメは加速した。
まあ、真実は人を自由にするものだ。
で、今日は祝日なので閉館は早い、
17時に出る。まだ止まず。
小雨なので買い物を強行。20分ほど歩く。
100均に大型スーパーにツタヤ。なんて都会なんだろう。
駅に戻ったが、この時間帯は連絡が悪い、一時間以上の待ち。田舎だ。
仕方なく、モダンでオサレなこだわりの駅前喫茶店へ。
このレンガ造りはもと米蔵だったらしい。
コーヒーを(400円)。
最近珍しいアッサリ系。すっきりと水の良さが分かる。やや強い酸味が鼻に抜ける。
几帳面で実直なマスターらしい一杯。
美味しゅうございました。
が、ここ営業6時まで。
ま、喜多方は都会なので駅はフリーのWIFIが30分も利用可能。
残り時間を駅待合室で時間潰して、山都に戻った。
月に一度くらいは、都会の空気を吸ってもいいかもしんない。
シアワセはココロが決める。体感って相対的なものね。
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