ゆるしは和解不要。恐怖の分解のみあればいい。他は無駄。 あと孤独死は別に不幸じゃない。

私は(元)親に対する恨みを手放すことが出来ました。
その過程で世の中で言われていることの多くの間違いにも気づき、
良き大家でもありたいなと、改めて思います。
 
アルテイシアという物凄い人見つけました。

母の変死、父の自殺、弟の失踪、借金騒動、子宮摘出と波乱だらけ。
でも「オナラのできない家は滅びる!」と叫ぶ変人だけどタフで優しい夫のおかげで毒親の呪いから脱出。
楽しく生きられるようになった著者による不謹慎だけど大爆笑の人生賛歌エッセイ。

きっかけはこの記事で、 
私、親子をやめました。「親と絶縁」して幸せになれた理由
https://woman.mynavi.jp/article/190412-5/

親は私にとってどうでもいい、とるに足らない存在で、影響力など持っていない。そう思えたら、生きるのが楽になった。
「親を許せなくてつらい」と悩む毒親キッズは多いが、許す必要なんてないし、許そうと思って許せるものでもない。私の場合は気づいたら、許す許さないとか考えなくなっていた。

そうそう、大事なポイントはそこなんだな。と楽しく読んでおりました。 
  
 
  
ゆるしに必要なのは和解じゃなくて、
 1.本能(爬虫類脳)が適切にアラーム発するようになること。
 2.アラームに適切に対処する。理性(人間脳)を活用し、感情(動物脳)に支配されない。

でした。実体験でわかりました。
 
親への悪感情が残るのは、生存を脅かされた過去の経験から。
 例えば怒号飛び交う家庭の場合、
 いつ壊れるか分からない、壊れたらその先の生活は成立するか分からない。
 子供にとっては生存の危機と本能のセンサーが感知します。
 それを感情に転嫁されることで、意識します。
 感情に振り回されようとも、最後はどう対処するのか脳が命令出してる訳なのですが、
 子供の場合は特に、自己決定権が無いので、アラームが治まるような適切な対処が出来ない。

そのときの後悔や悔しさが記憶として残ります。それが悪感情の元でした。
アラームを無視して、ただ我慢するのは、自分の精神への虐待ですから、なおさら。
自由、
まあ自己決定権の選択の幅を増やしてゆく過程でようやく、いろいろ気づけたのですが。。
 
親、教師、経営者、中間管理職、なんでもいいんですけど、
自分以外に自分の人生の決定権を委ねない。
 自分の親に自分がなり、
 自分の人生の教師になり、経営者になり、マネージャになり、
他者にはやらせない。特に無能や無責任は絶対に避ける。
 
脳全体がそれに納得すると、
過去のパターンに基づいた誤ったアラームを発しなくなりました。
  
 
WOOFで農業体験を積んでたころの話ですが、
何故か、昔の嫌な記憶が蘇ってくることが多くありました。
それをある人に話したところ、
 「家庭の不和を見聞きしませんでしたか?」
と尋ねられました。
 
どうやら、家庭の不和=生存の危機 でセンサーが反応してるらしい。
ただし、その自覚はまったくありません。原因はわからず。
 
今は自己決定権があるので、そのアラームは不要と、
本能が納得するまで、センサーは反応し続けました。
 
逆に、
怒り、憎しみ、恨みを喚起するアラームが鳴らないので、
そんな悪感情を感じることがなくなります。

アラームを偽って、自分の精神を自分が虐待したことを、
脳がゆるしてくれたようです。
 

仕組みがわかると、単純でした、何十年も掛かりましたけど。
あの人達に、私の生存を脅かされることは、もう無い。永遠にない。
正しく恐れ、正しく安心するようセンサーが改善されました。
 
自分の中の子供は、愚かなオトナ達を恐れていますが、
自分の中の親が守るので、
人格の全体統合としては、不安を手放せてます。
 
 
政府が間違うことより、不安を煽り群集心理を利用しようとする勢力の方が怖いのですが、
時代に合わず、衰退してゆきそうだし、人間が二極化してゆきそうだし、
脳は無駄なシグナルを発しなくなったようです。
 
 
あと、理性に任せっきりでもいけない。
デジタルからオカルトに転身しました。
 
以前、「泣きたいときに笑って」頑張る自己啓発系の人と接触したことあったのですが、
まあ、良いことも言うんですけど、
強い意志で節制に長けた人だから、成功もするでしょうけどさ、
 
本能や感情を無視して、利益追求するのは、精神への虐待だよ。
と指摘し、お別れしました。

三層の脳が統合できてないと幸せにはなれない。外側に求めてもね。
脳内を民主的に、独裁は長続きしないものだね。
  
 
その人は営業のコンサル的な自営で、成功してましたけどね。
値札見ないで買い物出来ても、
嫌なことを避けるためにお金使えないんじゃ意味ないよ。
 
嫌な人に嫌だと言い、嫌なことを避けるためにお金はある。
って斎藤一人さんから教わった。

例えば、
アルテイシアさんのエッセイでも、満員電車の不快、
女性ですから痴漢の話とか出てきます。
 
お金が充分にあれば、
 タクシーに乗る、
 職場の近くに引っ越す、
 そもそもその仕事をやらない。
など、回避策が手に入りますから、

ホリエモン系の強迫観念的やりたいこと教の人でなければ、
「やりたいこと」によって得られる快がそんなに強くなくても、
不快を避けていれば、精神のコンディションは整えられるものですよ。
  
まあ、その自己啓発系の人の周りは、
不満抱えた現実とガス抜きで多くは折り合いつけてるように見受けられ、
成功欲で精神破壊させるような感じませんでしたけど。
他者の欲望を生きさせようとするようなのも、中にはあるよね。
 
 
 
ま、兎に角。
1に回避、2に受け取り拒否ですね。要諦は。
お釈迦様ですら、悟りを得たのは静かな環境ですから。
荒行は無駄です。
 
害になる存在と極力関わらない。
もし、関わってしまっても、
他者の評価や判断は受け取らない、自分で自分にする。他者にも押し付けない。

蛭子能収さんが言うように、 
お金がある方が自由を得やすいのは確かです。
良い統合が大事ですね。
 
わたくしも沢山の授業料を払いましたが、
アルテイシアさんも、恋愛で高額の授業料払って今があるようです。
恋愛は脳がバカになりますが、
もともと人を見る目が有る人なので、
18のときに、親から逃げて、かつ本性を冷静に観察できてる。
優れた格闘家が相手の動作を見切るように。
だから、支配を任せていけない相手に任せてない。
賢いなぁ。
 
私はストーリーに酔がちなので、見切りが遅い。
まあ、確実な証拠を欲しがるって悪癖もありますね。
 
  
とにかく、和解は要らない。
適切な対処が出来る自分になっていれば、
過去の悪感情は不要になり手離れてゆきます。
  
 
 
ゆるしについての誤解が多いこともようやく分かりました。
 和解は要らない。外側との決着や手続きはまた別の話。
 愛で強行突破は仕組み上破綻する。砂糖で海水を中和するようなもの。
 アンガーマネジメントは対処療法、根絶治癒でないので高コスト。
 冷静に殴る程度の対処は充分想定の範囲。防衛と怒りは関係ない。
 反省はベクトルを逆に向けただけ、ゆるしとは違う。
 価値判断とゆるしは関係ない。卑下も見下しも誤魔化し。
 トータルで精算みたいなのは、理性にしか効かない。
 
 
そういう間違った解法、沢山試したなと改めて感慨深いものです。
遠回りしたからこその、正解を正解と認識できるってこともありますかね。
 
センサーが適切なこと、
適切な対処は能力上げてくしかないね。 
 
 
間違ったゆるしについては、↓参考になりました。

ただし、「始めから存在する絶対的な善」を前提に途中から展開するので、
そこから先は、参考にしません。

本能は生存や種の保存の為、
感情は集団や他者との関係で発達したもの。
善という概念は、よりよく生きる為に集合知的に形成されてきたもの。
親切にするのも、その集団がより繁栄するための手段から。
本当は現象しかなくて、善悪はだれかの判断に過ぎない。
 
そりゃ、人類が獲得した概念は、自分が生まれた前から有るから、
始めから存在するとは言えないこともないけどさ、

 豚を殺して食べるのは善か悪か?
 牛を殺して食べるのは善か悪か?
 鯨を殺して食べるのは善か悪か?

そんなことすら、人によって答えが違うのに、
「始めから存在する善」なんて前提を置くのは危険思想だと私は判断してる。
 
 
ま、それはおいておいて、
効果の無いゆるし方が流布する理由はだいたい分かったかな。
信じてたことが間違っていると、やっぱ結果出ないね。
 
 

私は決着つけたので、(元)親の死を確かめようも多分ないけど、
アルテイシアさんの本は実践的ですね。多くの人に参考になるだろう。

(元)親の死を知ったら、自分だったらどうだろうと想像もします。
 
すべて受け取り拒否が前提で、
約束守れてよかったな。って思います。最後くらいは。

自分の言動に責任持たなくても、
最後は情に訴えればなんとかなる。という悪い成功体験を、
これ以上彼らに積ませたくないものです。
 
せめて、自分の言動は自分に返ってくるものだって、
習得してこの世を去ってもらいたい。
おこがましいけど、彼らに抱く最後の感情かな。
 
間違った寛容は負の連鎖を生んじゃうって、ようやく学習したわたくし。
ちゃんと出来てよかった。って安心しますよ。
 
 
 
昭和なら、間違ったゆるし方の方が、社会にとって都合いいかもしんないけど。
どうやら、令和では不要な呪縛になってくみたい。
で、孤独死に対するネガティブな評価も薄まるといいね。
 
独りで生まれて、独りで死んでいくのに、
ことさら不幸みたいなレッテルは不当じゃん。
自由に個として、死なせてくれよ。
 
自然死で早期発見で、原状回復なら問題ないじゃん。にんげんだもの。
ま、管理会社さんに定期的、継続的なコンタクトとってもらうしかないけど。
大家に出来ることは、よい精神状態で居住していただけるサポート。
 
時流に沿って、幸福の総量増やす大家でいたいと思った次第。
 
  
日本の社会変わってくの日々体感できて、自分も変わってゆけてよかったな。
今日本に居るの、よいチョイスと思う。 
  
 
ところで、
55年体制って、テッポウエビとハゼみたいな家族な共生だよねぇ。
駄目な野党がそれよりはマシな与党の支持を下支える日本の安定。
昭和の価値観はあとどれくらい保つかな。

効果的なコロナ対策法案通さないことの批判かわす為に、
定年とかドーでもいいことで揉めてるって陰謀論はあまり聞かない。
沢尻エリカで出るのに。 
重要でないこと、生活に直結しないことから順に飛びつかせようとするのにも、
理由があると思う。

日本に来て、宿題だいぶ消化出来た。
もうしばらく居るのかな。

カテゴリー: ライフスタイル, 不動産投資, 未来・天国編, 社会変化, 管理業務 パーマリンク

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