悪口は妬み、嫉妬は羨望。らしいけど、、書評「戦わない生き方」は嘘で、承認欲求ゲームだった。

読んでて、辛かったので、シェアします。

今、現実と戦わないをテーマにして、だいぶラクになりました。
生きる苦しみを滅したいと、願う今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

つれづれなるままに、タイトルに惹かれ、読みました↓。

うーん残念。
導入は著者の反省良かったのですが、
結局は、豊臣秀吉モデルですね。
出世というゴールも自分の承認欲求ですし、
周りの人の承認欲求を満たすことで、出世という結果を手にする。
「感謝」とか綺麗事も書かれてますけど、、

結局は、承認欲求ゲームでの勝者指南の域を出ない。
で、その主張は、もう時代じゃないなと。思う。
 
羽柴って、丹羽長秀と柴田勝家的な、人たらしで、、
出世ゲームの定石は相手の承認欲求を満たして、味方につけることである。
 
だから、戦わない。
いやー、そういうことじゃないんだよなー。
現実と戦わないは、自己受容で、他者の承認欲求は、オレの課題じゃない。
 
そこまでして、出世したいんか?
うんざりしながら、読んでしまいました。
その出世だって、所詮、承認欲求を満たすため、
そんなの、外側に求めたって、結局満たされないよ。
それは学習済だ。
私が求めてる現実と戦わないは、これではない。
 
 
なのですが、
悪口は妬み、嫉妬は羨望。と書いてありました。
ああ、そうだね。と気づきがあったので、書いてます。 
 
久米宏さんから打牌批判まで、
悪口の悪口書いてますけど、
 
羨ましいんでしょうね。
あのお気楽な感じが。責任を伴わない。
いやー、羨ましい。あれで幸せになれるのなら。
 
オレは無理だもの。
思考を読むと、どうしても、重圧とか責任の影響まで計算してしまう。
そんな立場になってしまうのは、できれば避けたい。
責任観念もない無能か、正しさに殉教できるの信者か、
でなければ、責任者の座は羨ましくない。
必要なリスクテイクに限定したい。そんな判断が勝ってしまう。
 
山本太郎を支持しないけど、
票を重ねた結果、組織の責任者としての振る舞いをせざるを得ない。
多数を束ねる苦労には、同情してしまう。
ほら、「べくれてる」とか、もう昔のように発言はできない。
 
令和新選組の責任者が、大西さんを羨ましいと思うのと同じように、
久米宏さんから打牌批判まで、私は羨ましいのだろう。
だって、お気楽なんだもん。
70歳で暗いと文句を言うだけの人で、かつ幸せなら、、
 
いい人生だな。羨ましい。
代償とか、きっと存在しない概念。
余計なこと考えて苦悶しなくていい。
 
 
 
ま、それはさておき、
会社ごっこ、が生産性でなく、承認欲求のゲームとよく分かる本。
そりゃ、AIに取って代わられて、人類は承認欲求から自由になる。
産業時代の終わり、幼年期の終わり、
勉強になりました。
 
で、どう生きればいいのかは全然分かりませんでしたけど、
出世を目標に生きるのは、うんざりってことだけは分かりました。
それ以下の労力で、経済的自由を得る抜け道は存在するし。
 
自分の目的のための感謝じゃなくて、
早めに、産業時代の組織の虚しさを体感させてくれた経験に、
感謝の気持ちが湧きますね。
もう、跡形も無いあの組織。
貴重な経験をありがとう。
  
毒親ってのも、一緒ですよね。
責任感の欠如と能力不足から、自分の欲望のまま。
 
自分だって、無能だろうけど、
他人の人生に関わる重荷に、もっと悩んでしまうだろう。
あの、自分のことだけに精一杯の生き方が羨ましいのだろう。
 

 
ああそういえば、
幡野広志さんには、憧れてます。
 覚悟して生きる。
 常に子供の味方で、毒親と戦う。
 
かく有りたいと思います。
それ故に、人生相談の回答がハズレだとなんか失望してしまいます。
期待は感情の借金なのに。
 
得意じゃない分野では、踏み込まず、無難なことしか言わない。
https://cakes.mu/posts/30893
 1.太ってるコンプレックス。
 2.好きな人は結婚する気がない。
 3.結婚を考えてる相手の職業はギャンブラー。

が並列で記述されてますが、それぞれ別な問題で。
 1はライザップでもなんでも、自力で解決したらいいし、関係ない。
 2は現実と戦わず、
  「結婚しないなら今のままでもいいけど、結婚がしたいなら結婚相談所に行くのがいい」
  母親の助言がすべて。
 3は2なのだから、考える意味なし。
なのに、結論が「彼とよく話し合いましょう」じゃお話にならない。

カッコいい人なのにこの回答じゃあ、って失望があるから書いてますけど、
 
 
もっと酷いのは、元雀荘勤務、プロポーカープレイヤーに対する偏見。

以前は歌舞伎町の雀荘で社員として働いていましたが、1年程前からはフリーで麻雀やポーカーをして生活しています。

どれくらいグレーゾーンか分かりませんが、
堀内正人さんを彷彿とさせます。

今はコロナで中断してても、
合法な国で、プロポーカープレイヤーとして生計立てること、
そんなに偏見持たれるいわれはないよ。
 
あんたの視野が狭いだけだろ。
写真家だって、生活安定しないの似たようなもんだろ。
 
読んでて憤慨しちゃった。
 
堀内さんの言葉を信じるなら、麻雀プロとしてタイトル取れるくらいの素質なら、
ポーカープロとして充分稼げるし、
その方がマーケットもデカイし、
純粋にお金を稼ぐには、能力をより最大化してる。 
 
技量だけで優越がついて、それがすべてなら、
秀吉型と真逆で、それが一番な気もする。
すべての煩わしさを断って、それが出来るなら。
そりゃ、結婚しなくても、満たされるだろう。
 
そして、結局、
幡野広志だってキャラ立ちがすべて、写真の技量じゃない。
 
  
世に出るならキャラ立ち、って土日は麻雀最強戦観てて思いました。
優勝したら、パレードしたって選手もいて、
いいっすね。いつかそんな日も来ると思うよ。 
 

承認欲求のゲームは変わって、
二極化って、素敵やんって思う今日このごろ。

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