もしも幡野広志の立場なら、苦手なことは省く。やりたくないことはやめる。 「ピクサーの成功」「為末大の勝利条件」「やりたくないことをやめる勇気」

前回に引き続き、幡野広志氏の炎上案件。
怒る必要はないが、これはダメだなと。


累積2枚目で退場が妥当と、私は判断します。
 
それでも、
自分が彼個人の立場だったらと、どうするだろう? と打席に立ってみる。
 0.cakesと手を切り、撤退。
 1.失敗の対策に失敗したことを自覚し、書き出す。
 2.余命をやりたくないことや苦手なことに費やさない決意。
 3.それでも相談続けたければ、
  自己メディア(ブログ、youtube)で、
  DVや性的虐待は常に専門家に任せる。
 
 
0.cakesと手を切り、撤退。
 cakesに危機管理できる体制が無いことは、明白でしょう。
  載せる前に、同じ失敗のチェックは出来ないし、
  炎上したらただ削除するだけという対応。
 
 私はどうやら、
 幡野氏からブロックされたようなので、(他にヤルべきことあると思う)、
 確認出来てないです、が、
  ツイッターでロクな声明出さず、火に油みたいです。

 ここは、謝罪会見の定石。迅速さが要求されるのに。
 cakesのダメを見切って、自分だけでも対策しないと。
  第三者的専門家に介入を仰ぐ。
  当面の休止の意思を表明。
  最終結論については、一旦保留。
 もはやcakesと足並み揃わなくていいから、
 このくらいは、ツイッターで表明したほうが、適切と思われる。

 このまま続けても共倒れ。善悪でなく、見切り時。
 著者に無断で削除してるのですから、辞める交渉は優位に進められる。
 そして、ここで撤退しないメリットは無い。傷を広げるだけ。
 
 
1.失敗の対策に失敗したことを自覚し、書き出す。
 誰かに相談するよりも、ノートに書き出して、客観性取り戻す。
 安倍前首相だって、反省ノートからの再起だ。
 
 前回のやらかしたのに、その対策に失敗したことは、自分で見つめたい。
 
 ・DVや性的虐待に無知で寄り添えない自分を自覚出来ないこと
  専門家にお話聞けば、それでなんとかなると思ってしまった。
 
  能力が低い人は、自分の能力が低いことに気づく能力も低い
  https://diamond.jp/articles/-/156038?page=4 

能力の低い人は何かをする能力がただ低いというだけでなく、自分の能力が低いことに気づく能力も低いということである。まさにこのことが、なぜか仕事のデキない人ほど自信を持っていることの理由と言える。

 理解力というのは、物事を理解する能力のことだが、その低さが自己認知をも妨げるため、自分は能力が低いという事実、自分はきちんと仕事ができていないという現実にも気づかないのである。

   最近の経験で、会話が成立しないマニュアル君に出会った。
  マニュアルに当てはめることが常に最優先で、会話の内容理解が疎か。
  で、驚くのですが、
  マニュアル君は、
   自分がマニュアル君で、状況に応じた対応が出来ない。という自覚が無い。
 
  物事を把握する能力というものは、そういうものだなと感慨深い。
  自己認知の低さが、改善や成長を妨げるから、能力も低いまま。
  切ない話ですが、もちろん他人事ではない。
  無能だという事実が出たら、受け入れられる自分でありたい。

  いいなとヒントになったのは、
  ピクサーの失敗からの成功。ジョブズが失敗から学んだかは不明。
  

ある時点ではピクサー社員が一二〇人いたうちで、アニメ制作に携わっていたのはジョン・ラセターを含めたったの五名だった。

ハードウェア部門を売り払い、ソフトウェアで勝負を賭けたときも、まだジョブズはそれが自分の得意分野から外れていることを認識していなかった。ようやくわかったのは、ハードでもソフトでも赤字が解消できず、映像作品で勝負しなければならなくなってからだ。 ジョブズの得意分野は交渉力である。類まれなる交渉力は、映画界の支配者ディズニーとの契約交渉で二〇〇%発揮された。そのおかげで、ピクサーにとって不平等条約同然の内容は、逆に優遇満載の契約に書き換えられた。
<中略>
「無能なる人物を並レベルに教育するより、一流の人を超一流にするほうが少ないエネルギーで済む」
 これは経営学者ピーター・ドラッカーの言葉だ。
<中略>
アップルは弱みを克服して成長してきた会社ではない。強みを研ぎ澄まし、徹底的に強くすることで躍進してきた企業だ。
<中略>
ピクサーは得意な人たちにとことん任せることこで、アカデミー賞を撮るまでのすごい映画制作会社に成長した。

ピクサー社長のエド・キャットムルは、「アイデア(企画)よりも素晴らしい人材こそが、良い映画を作る」と考えてきた。「二流のチームでは、たとえ一流のアイデアでも二流の作品にしか作り上げられない。だが一流のチームなら、二流のアイデアを一流の作品に作り上げることが出来る」これころが彼が経験から学んだことだった。

  才能を手に入れてかつ、適材適所、強みへの集中。
  大事ですね。 
  幡野広志は才能も強みもあるので、
  無能を無能と認めることを徹底してほしい。
  彼がただ社会的信用を失うだけで終わるのは、惜しい。
    

うまくいかなかった仕事を振り返るのは苦痛であるが、そこから得られることもたくさんある。
 事後分析を実りあるものにする方法として、「次の作品でも繰り返しやりたいこと」と「次の作品ではやりたくないこと」をメンバーからそれぞれ五点挙げてもらう方法をピクサーは採用している。

  これは、人材の登用の余力ない組織でも出来ること。
  個人でも出来る。
  苦手なことは戦略的に省略し、得意に特化。
  さらに、やりたくないことは辞める。
  私も徹底したいです。
   働こうとしても、結局虚しいだけだった。
  この総括を進めているのですが、ピクサーの成功は示唆に富みます。
  
 
 ・反省から寄り添おうとして、凡庸な回答。無内容な文章で埋める。
  その能力が無いので、DVは特に質問者に寄り添えない。
  以前のような攻めた回答は影を潜め、毒にも薬にもならない内容に終始。
  その無内容さを、どうでもいい文章で埋めことが習慣化した。
   
  分析を誤ったので、対策に失敗した典型的な例と見ます。
  別に悪意があるとか、性的被害者に偏見あるとか、そういう訳じゃない。
  善意の人だから、たちが悪い。

 自己認知の失敗と対策の失敗。
 この2点は少なくとも抑えたい。
 
 
 
2.余命をやりたくないことや苦手なことに費やさない決意。
 もし、余命1年なら何をするか?
 というコーチングのくだらない質問があります。

 リアルに余命宣告受けているのだし、
 この失敗を転機に、苦手を省くだけでなく、
 やりたくないことは辞めるのが、いい潮時。
 
 自分の人生の勝利条件を見直すに、絶好のタイミング。
 
 本も読んでみた、勝利条件に特化して。

勝負では重要なことがある。それは、勝とう、成功しようとしているのに、実はその「勝利条件」が自らの中で極めて曖昧な人が少なくない、ということだ。 
それでは勝利や成功を計りようがない。もっと言えば、勝ったり成功したり、できるはずがない。なぜなら、勝利条件がないのだから。 
条件はある、という人もいるかもしれない。でも、それは本当に「勝利条件」だろうか。誰かが、あるいは社会が作った、条件だったりしないだろうか。

 思えば私もそうだった、働いて虚しい。訳である。
  

実は僕自身、シンプルな陸上競技であったにもかかわらず、「勝利条件」の設定で世の中の価値に揺さぶられることになった。例えばプロ野球なら、野球がうまくなることと、自身の経済的価値、社会的価値の向上は一致する。 
しかし、陸上やアマチュア競技の場合は、もっと複雑だった。強くなることと、お金持ちになることや有名になることとは、実は違う手段によってもたらされるということが、わかったのである。

 武井壮も日本チャンピオンになっても誰も知らないって、言ってましたね。
 幡野広志は、売れてく過程で勝利条件の設定を間違えたのではなかろうか。
 

無理をした自分から落とし込んだ戦略だから、自分とはずれていたのだ。だから、そもそもの自分のままで勝てる方法は何だろうと考えるようになった。他人から批評されて自分が変わっていくのではなく、自分が過ごす場所と社会を自分で選んでいくことを強く意識するようになった。

 絶好のタイミングで失敗出来て良かったね。
  ごく有限な時間を費やすに対して、
  凡庸な回答と無内容な行間埋めで得られる勝利は、
 間尺に合わない。
 私も為末大のようでありたいと思う。
  
 
 ついでに読んでみた。サラリーマンに特化しすぎだけど、良き点も。

 とどのつまり、それに尽きる。

やりたくないことをやめるコツ? 
それはね、案外単純。自分の皮膚感覚を信じて生理的に嫌なことから切っていく。私たち世代になるとさ、「直感」って実はこれまでの経験や理論に基づいているものなのよ。初対面の人に会って、「あれ、この人ちょっと違う」と直感で思ったときって、だいたい後でもめたりするでしょ?そういうの、体で感じられるようになってるのよ。でも、人間って我慢ばっかりしていると「嫌だ」「変だ」という違和感も麻痺してしまうの。一度振り返って、「自分が機嫌よく人生を送ることを脅かしている、生理的に嫌なことはなんだろう」って考えてみてよ。

 
 個人的に参考になったのは、

「本気で会社を変えるほどのパッション」がないんだったら、その怒りは捨てたほうがいい。ストレスになるだけだもの。会社のやり方を変えるなんて、今どき社長だってなかなかできないんだし。その怒りを会社生活の源泉にし続けるのは、かなりしんどいことだし、常に不満を抱えて過ごすことになるから、はっきり言って周りも迷惑。

 嫌ならば、関わらなければそれでいい。
 怒りは誰の為にもならない。 
  
 働くことの勝利条件、あいまいだったな。流されていたな。
 

3.それでも相談続けたければ、
 自己メディア(ブログ、youtube)で、
 DVや性的虐待は常に専門家に任せる。

 
 「cakesが」信用できないメディアでもいい。という意見もあるが、
 私はそうは思わない。
 大熊信編集者はサイゾーでの成功体験あるらしい。
 下世話なネタを扱うなら、それでもいいよ。
 が、
 これは同列に扱えない。
 DVや性的虐待という分野は、 深刻な被害も沢山あり、
 そこで信用できないメディアを続けるのは、公序良俗に反する。

 手を切って、それでも相談続けたければ、
 信用できない自己メディアの選択は可能。
 それなら、
 相談者の自己責任と割り切ることも出来る。
 回答は、自分の責任の範囲で管理可能。
 
 ただそれでも、自分の無能は自覚して、
 無能な領域は専門家に委ねる。強みに特化する。
 それが学習ってもの。
 
 
同じ失敗を繰り返すのは、
 そもそも方向性が間違ってる。
 改善のポイントが間違ってる。
大抵は、その両方。
私もようやく学習して卒業したい。

 

  

カテゴリー: 働くこと, 書評、映画評など パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*