長崎市長考 反戦は平和主義じゃない。戦没者慰霊は怨親平等に限る。当面日本に完全独立は無理。「呪術廻戦」「道元を生きる」「日本は原子爆弾をつくれるのか」「金正恩の核兵器」

慰霊だけは敵味方区別無く、怨親平等が出来ないなら、
各国招待せず、身内だけでやる方がいいんじゃないの?
世界に反戦、反核を訴えても、揉め事の種を蒔くだけで、
実質、平和にプラスは無いのだから。

余計なお世話だが、そう思えてしまう。
私は、
自分の影響下にあることと、それ以外を峻別して、
前者に全力を尽くし、後者を諦めよう。
「我々次第でないもの」は、自分のものではない。” なのだし。

世界の平和は世界のものとして、
自らの平和にのみ集中した方が、よっぽど平和。
それで充分。使命感に駆られるよりもずっと平和だもの。
 
  
そんなニュースを聞いた。
長崎市長 平和祈念式典にイスラエル不招待
結果、そらそうなるわな。
米欧6カ国大使、平和式典欠席へ
 
額面どおり ”政治的判断ではない” だとすると、
なんらかの脅迫めいたことがあったのか、
 それに屈したにせよ、
 あるいは戦うという別の選択肢を取るにせよ、
”平和を世界にアピール” は、哀しいかな自己矛盾が過ぎる。
”世界に” は諦めて、哀悼の意を示す身内の集いの方が平穏かと。
 
逆に、政治的意図だとしたら、
反戦を訴えても、そこに対立を生むだけで、結果は和平の逆。
 
そして、いずれにせよ、
反核を世界にアピールをしても、聞く耳を持つ保有国は居ない。
いわんや北朝鮮おや。
  
   
個人的な教訓は、
 怨親平等でなければ、平和主義者になれない。
 大声で反戦、反核を叫ぶ人たちは平和主義者ではない。
 その上で、
 黙祷中に騒ぐ人たちを憎まず、残念に思うくらいでないと、
 怨親平等の境地には成れない。
と知った。
 
黙祷中に騒ぐのは、流石に人外で、
タダ乗りして被害者ズラは中身無き人間と思うけど、 

そういう人たちに対する反感がなくなったら、
怨親平等の境地に達することができるかもしれない。
 
更に、 
被爆の害も受けず、昭和の高度経済成長をのうのうと享受して、8月に黙祷もしない。
で、被害者ズラする日本人にまだ、私は嫌悪感がある。
どんなイデオロギーを信じようと関係ない。タダ乗りする人格が嫌い。
体験を伴わず、教育に洗脳された人間に恐怖を感じる。
温かい気持ちにはなれない。
   
  
そんな折、
岩手の地に生まれ、死者をモチーフにした作品が、
ああ、怨親平等やるんだと、軽く衝撃を受けました。
地獄に堕ちた亡者おも救うのが地蔵菩薩。

この世に無念を残して死んでゆくのが呪い。
菅原道真公の例がわかりやすい。
呪いを払うとは成仏のこと。
無念を残さず、死にゆく様をいつも、丁寧に美しく描く。
テーマに忠実だねぇ。
好きじゃないところも、いっぱいあるのだが、
漫画に限らず、こんな作品はちょっとない。と見直した。
 
怨親平等は鎌倉仏教の時代に伝わった概念らしく、
敵味方を区別せず、戦没者を供養したもの。

神奈川県藤沢市の時宗の総本山清浄光寺の境内には、応永23年(1416)から24年にかけての前関東管領上杉氏憲と鎌倉公方足利持氏の合戦の戦没者を供養した応永25年建立の敵御方(みかた)供養塔(怨親平等碑)が現存し、その碑文には、戦火で落命した敵味方の人畜の往生浄土を祈願し、碑の前で僧俗が十念を称名すべきことを刻んでいる。

これが出来ないのであれば、招待はしないほうがいいよ。
ロシアを誘えない時点で、潔く、
”世界にアピール” は諦めてはどうか。
そもそも慰霊という静かな思いとは、アピールは別もので邪念にも思える。
矛盾したものを両立させようとする無理は祟る。
  
一見善意に見えても、承認欲求の塊に過ぎない例をいくつか体験した。お陰で、
承認欲求が如何に認知能力を破壊するものなのか、学習させていただいた。
ちなみに、自分が回避出来ている自信はまったく無い。
 
まあ、承認欲求と怨親平等が真逆のベクトルなのは本能的に感じる。
怨親平等という言葉は、
道元という鎌倉仏教の開祖様の書物の中に登場し、
その書物では、身心脱落という概念が説かれているという。
興味を持って、少し調べてみた。 

仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。(『正法眼蔵』「現成公案」)
[仏道を学ぶということは、自己を学ぶことだ。自己を学ぶというのは、自己を忘れること。自己を忘れるというのは、悟りの世界に目覚めさせられることである。悟りの世界に目覚めさせられるということは、自己および他己(他なる自己。すなわち自己のうちにある他人)を脱落させることである]

難しいことは分かりませんが、
 ”エゴが忘れられないうちは、まだまだ。”
ということらしい。
 
認知が壊れ、都合のよい主観でしか判断できない地獄が、
確かに、この世にあることだけは私も知っている。
私の目には、救いが無いようにしか見えなかった。
見捨てるのも修行のうちだった。 
もっと早く、お地蔵さんに任せればよかった。
  
 
ま、それはさておき、
次いでに東アジアの核拡散についても、調べてみた。

サダム・フセインやカダフィ大佐の末路を見れば、
金正恩にとって核武装がマストなのは論を待たない。
また、
米民主党が東アジアの安全保障を軽視した結果、
北朝鮮の核保有を阻止できなかった。
共和党もトランプ訪朝に何の成果無かった。
そんな過去も知ってる。
 
それは前提として、日本に選択肢はあるのか?
 
人工衛星を飛ばしたと喜んでいた時代も今は昔、
もはや実戦を想定した戦略を立てている。

金正恩はもはや核を手放すことはあり得ないし、場合によっては先に使うと強調している。 
とりわけ韓国や日本が神経をとがらせるのが「使える核」とも称される戦術核への傾倒だ。金正恩は21年1月の第8回党大会報告で、国防工業強化策として真っ先に戦術核開発を挙げた。

戦術核兵器──前線や作戦戦術的縦深地帯にある有生力量と火力機材、戦車、艦船、指揮所などを打撃するための核弾頭とその運搬手段からなる兵器。運搬手段は戦術ミサイルと原子砲、戦闘爆撃機、誘導魚雷などがある。

質・量が向上すると先行使用も想定する「対兵力」的な戦略が可能になる。北朝鮮の核戦力の実体はともかくレトリックは「対価値」に加え「対兵力」を強調するようになっている。

さらに、 
北朝鮮は戦争になれば三ヶ月も保たない。戦争を継続する体力はない。
核による先制攻撃も辞さず、おのずから短期決戦を目指している。

いったん戦争状況となれば、その使命は他方の軍事力を一挙に取り除くことに変わる。戦争初期に主導権を握り、他方の戦争意志を焼き払い、長期戦を防ぎ、自らの軍事力を保存するために核戦闘武力が動員されることになる。

日本が”抑止力”を持っても期待できそうにない。相手はヤルときはヤル。
そんななか、岸田政権の反撃能力保有は大きな転換という。

バイデン政権は岸田政権による安保関連3文書改訂、とりわけ「反撃能力」保有決断を歓迎している。「米国と日本はプロテクション(守り)の同盟からプロジェクション(投射)の同盟へと進化している」。

北朝鮮の核を止める有効手段は示されず、日米韓で連携するしかないらしい。
反撃のため、こっそり潜水艦に核弾頭積むことはあっても、
日本の核保有で抑止力というシナリオは無さそう。
トランプ再選でも、実質変わらず、
言葉は勇ましくても、日韓の負担増を求めるだけで、
北朝鮮の核保有追認するだけじゃないかな。
だって、北朝鮮を止める有効な手段は無いんだもん。
迎撃のためのイージス・アショアの頓挫は痛かったかな。
 
  
あと、原発と原爆はあまり関係ないと知りました。

軽水炉から取り出された燃料棒を再処理するとウランとは別個に5つのプルトニウムが摘出されることになる。もちろん、プルトニウム239が大半を占めるが、プルトニウム238、240、241、242が混じっている。

プルトニウム240の含有が多いと未熟爆発が起こりかねない。だから、原子炉から取り出した燃料棒を再処理してプルトニウムを摘出する場合、できるだけプルトニウム240を含まないようにしなければならないが、これは極めて困難なことである。プルトニウム239をプルトニウムは(どちらも同じ元素であるので)不可能だからである。

現在ハッキリしていることは、原子炉級のプルトニウムを使っても原爆はつくれるが、プルトニウム240の自発核分裂によって生ずる未熟爆発のためにその威力は1キロトン前後であるということだ。

例えるなら、
灯油をいくら保有しても、ガソリンが精製出来なければ自動車は走らない。
灯油で走る車は不可能ではないが、ガソリンのそれより大夫見劣りする。
技術的課題は他にもいろいろあるらしいけれど、
よく言われる、
 ”核兵器に転用できる原子力発電” 
というのは、正確ではないらしい。 
 
何にせよ、質の良い情報に基づく判断を心掛けたいものです。
  
核廃絶をアピールも、核武装で完全独立も、どっちも寝言。
長崎市長のお陰で、ちょっと知識を得たが、
鎮魂すら難しいと、現実を改めて知った。
 
 
2024.08.14 16時現在
植田ショック以降、思った程利益には成らなかった。
ストップ安のあとちょっと踏み上げ食らったのが痛い。
自分の下手さのせいなので、致しかたなし。
連休前に一旦手仕舞うが、
週明けの現在、岸田ショックに損失を拡大。痛い。
今後は読めません。
MACDはクロスするようです。買い目線でいます。

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