「芸人アーサー伝」がタイトルだったらよかったのに。酷評するほどは悪くない、むしろ良作な「ジョーカー2」だけど、、 <ネタバレ全開>

前回予習し、IMAXで観てきました。
アステアは当然として、
トニー谷を出したのは、我ながらナイスでした。
(息子を誘拐され、素顔の父親の姿をTVで晒して、絶頂から凋落した。)
ミュージカルは欠点はあるものの総合的には、及第点以上あげていいと思いますよ。
ワーナーはじめいろんな介入もあって気を使いまくって調整した、
監督の労はねぎらってあげたいです。
まあ、その結果バランス悪いですけどね。中途半端で。
  
続編がミュージカルなのは、続編というよりB面で、
芸人アーサーの話だから。
芸人の頂点はフレッド・アステアだから、
ビートたけしもホアキンもタップを踏むと相場が決まってます。
で、時代が変われば、忘れられるのがスターというもの。
 
 
ジョーカーの続編だと思ったら、B面である中の人アーサーの物語であった。
その肩透かしに憤慨する諸氏のことは、私は知ったこっちゃないのですが、
裏切られたくなければ、初日は見送り、
情報出てから意思決定するしかないよね。

あと終盤は、”DCにキャラお返しします” なので、
爆破以降の論評も考察も無意味だと判定してます。
そういうお約束で作られた映画だというだけ、
それ以上でもそれ以下でもない。
 
そこまでは前提としても、  
どんな映画か承知の上でも、
それでも退屈だったという層も一定数居るでしょう。
まあバランス取ろうとして中途半端は否めないし、
謝罪会見としての萎縮もうかがえるし、
 
いっそミュージカルに振り切って、欲しかったねぇ。
最初のアニメはいらない。
拘置所(?)は丁寧に描かなくていい。トピックだけでいい。
 看守のイジメ、
 ガガとの出会い、
 バンドワゴンからの脱走、
 懲罰と一発、
 裁判のスター気取りで看守にヤられる。
それだけでいい。
 
法廷のシーンも、無駄が多いかな。
謝罪会見のため、やむを得ないかもしれないが、
 
 
ミュージカルもっとたっぷり演ったらどうかな。
 恋にのぼせたホアキンの妄想舞台と、
 悪魔のささやきのガガ。
ガガに歌わせろよ、もっと。
ホアキンの歌は必要最低限で極力、無言の演技で魅せて欲しい。
お前が歌うんかいと、「水ダウ」のようにツッコんでしまった。
例えるなら、

三浦大知じゃなく、池ちゃんが踊るんかい!
だって、
どんだけ下手に唄っても隠しようがない。差は歴然。本物って。
歌姫のカーペンターズで見物料のモトは取れたと思ったよ。
  
トッド・フィリップスもホアキンも、そりゃ専門家の方が上手く演っただろうけど、
頑張ってましたよ。及第点はあげていいと思う。
 
音楽は、現代ハリウッドの悪いところ出ました。
歌を際立たせる必要があるのだから、いつもの押し付けがましい劇伴じゃダメ。
そこは工夫しないと余計に。
あと、選曲がねぇ。シナトラにビリー・ジョエルじゃ統一感なさすぎ。
ローリングザンダーのように引き裂かれている。
できれば、ミュージカル映画のスタンダードナンバーで揃えたい。
で、全部ガガに歌わせろよ。
オシャレな音楽の映画は、いっぱいあるのに、ダサい。
肝心のとこでダサい。これは大幅減点。
 
 
最近だと、

ちょうどストーリーに乗る、あの時代の懐かしい楽曲が嬉しかったよ。

MJにオファーが通るか、競合に勝てるかどうか、神に祈ってしまうシーン。
 
ハードル上がりすぎて不評だったため、今はアマプラでは観れないけど、

選曲にセンスが出るよね。

 
今なら100円か、
曲数少なくてもいいけど、センスが全て。


オシャレだったら全て良し。
 
  
それはさておき、 
ミュージカルじゃないとか、わざとつまんなく撮ったとか、
あれだけ唄っといて言い訳抜かすのは論外で、
もっとセンスある音楽の構成でないとダメでしょう。
掛けた予算が無駄になる。
 
で、レディー・ガガの出番ですが、
「ファウスト」のように、メフィストの誘惑を盛大にやって欲しかったなあ。
謝罪会見の性格上、アーサー君の再度の闇落ちは、編集で切られたと思う。

「まどマギ」の公開は延びてるが待つ。
  
プラス。
客が居ればジョーカーを演じる芸人魂。たとえ法廷でも。
舞台の上では素顔は見せない。観客を楽しませてナンボ。
それが芸人というもの。
それを法廷で描いて欲しかったですね。

 生い立ちが不幸なのも、
 社会不適合者なのも、
 泣かず飛ばずで遅咲きなのも、
 妄想癖で、社会を妬むのも、
 バキ童なのも、
そんな芸人は他にも居る、おそらく多数。
法廷では、アーサーにもジョーカーにも迫れず。
ありふれた、売れなかった芸人をただ揶揄してるだけ。
あまりに的外れだと観てました。 
  
 悪魔の誘惑による二度目の闇落ちと、
 モラルを超越して偶像を演じ続ける芸人。
その2つは、もっとたっぷり演った上で、
仮面が剥げて、中の人の素顔が露わになる。
 
作品としてはそうであって欲しかったけど、、
いかんせん、謝罪会見だし。
  
トッド・フィリップスは狩野英孝に成れなかったね。
ああいうのを天賦の才というのだと思う。

あれくらい、笑いの神に愛されないと、
謝罪会見で楽しませることは出来ない。残念。
 
謝罪会見としても、
フワちゃんの謝罪文のよう。ツギハギで筋が通らない。
Aマッソと一緒と前半書いて、関係無いと突然言う。
いろんな思惑働いているのだろうけど、
そんな謝罪文なら出さない方がマシ。と指摘されて当然。
”ジョーカーは居ない” と突然、言われても、
  
トニー谷は ”どうか息子の命だけは!” とTVで悲痛な素顔を晒したために、
キャラが崩壊してしまった。
映画でも、芸人が素顔に戻る必然が必要だった。
核心に迫らず、お茶濁している。  
 
 
あ、努力ではどうすることも出来ない。
で、思い出した、
ホアキン演じる白塗りのアーサーが才能無いように見えない。
客を魅了しちゃうじゃん。板の上での魅せ方が筋金入りだもの。
しがない中年男かと思ったら、ただのスターでした。
悔しいです。
 
 
才能無いと法廷で責めるのは蛇足だし、無理筋、説得力が無い。
劇中の証言者は、
素人が”出川は二流”って言うようなもんだよ。
MC役の裁判長が訂正しろよ。
気の利いたこと言えるかどうかとか、
笑いの神に愛されるって、そんなことじゃねーんだよ。

面白くても売れない芸人は居るでしょ?
永野のラッセン前とか、
売れてない、ただそれだけでいいじゃん。
売れるには普通に、大衆ウケしないと。
 
そういえば、
永野はピーウィー・ハーマンに嫉妬してたらしい。

ま、そもそも、芸人なんて社会不適合者で普通。
松本人志だって、おかしくなってしまう。
天才だって、映画を酷評されてしまう。 
   
 
ホントはね。
才能もあり、狂気を孕んだ芸人アーサーのアタリ芸としてのジョーカー。
そんな解釈をたっぷり観たかったけどね。
ホアキンほどの達者が演るのだし。
  
その上で、素顔が透けて、偶像が落ちるストーリーが観たかったな。
素顔に戻って仮面が割れる本作ではあるが、
その理由が謝罪会見だからでは、ご都合で唐突過ぎる。
トニー谷に謝れよ。
フワちゃんみたいな編集になった事情があるのだろうけど、
もっと魅力的にドラマに出来たのに。残念至極。
 
 
どんなに成功しても、どんなに才能あっても、
仮面の重さに耐えられない人もあまたなのだから、
芸人の悲喜劇をちゃんと描けよ。 
アーサー個人の哀れさ、しがない中年男なのは関係ないんだよ。
芸人の性だけでいい。哀しい性。
アメコミファンにはヤンキーがモテるとしても、観たいのはそこ。
 
ああそれから、
大好きな映画のことも思い出したよ。

アマプラじゃ配信してない。

ジム・キャリーにアカデミーあげとけよ。
 
ああもっとそれから、
有り余る才能を持って生まれ、天下取っても、
偶像として世間に殺されたスーパースターも思い出した。

 
 
2024,10.17 23:30現在
20MAは支持線になってるが、
戦争か、自民大敗で、割ってくる気がするんだよな。
まだ待つ。

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