小説「敵」で予習。堅物版「オール・ザット・ジャズ」か、林住期から遊行期への老いるショックを描く。アウト老に成れるかな。

「オール・ザット・ジャズ」をTVで観たのは、中3の頃と記憶している。
映像は凄かったけど、意味はピンと来なかった。
少年には”病”も”老”も”死”も実感が無く、ショックとは無縁。
今は、
 血液検査の数値が悪かったり、
 体の節々が痛かったり、
 固有名詞が思い出せなかったり、
”敵”の足音がヒタヒタと聞こえる齢になった。
 酷評に血圧を上げるロイ・シャイダーと、
 心臓をモチーフにして、別れを告げるラストは、
今も覚えている。

お達者では共感出来ない。R40、いやR50でもいい。
 
不摂生な振付師の自伝的映画は、小説の中でも引用されていて、
本作の主人公はボブ・フォッシーと違い真面目だけど、意味は同じかと。
フランスの演劇が専門とは、長塚京三にアテ書きのよう。
 
  
筒井康隆原作、吉田大八監督で東京国際映画祭グランプリ。
そんな話題作。そりゃ観にゆきます。
ですが、その前に原作を読みました。
順番は迷いましたが、人の振り見て我が振り直せです。
原作も読まず監督にインタビューはダメだろう。

原作の説明は、視聴者に向けインタビューア行うもので、
インタビューアが対談相手からレクチャー受けるもんじゃない。
それは個人の時間で済ませてくれ。
最低限の準備もしないのは恥ずかしい。
 
で筒井康隆なんて、何十年ぶりだろう。 

野心的な企みですが、
ドタバタや悪ノリは無し。想像とは違いました。
 
主人公視点の三人称語り、最初ハードボイルドかと思いましたが、
伝統的な私小説と見紛う。自然主義文学かとツッコみたくなりました。
中盤から妄想の割合が増えるものの、筆致は変わらず。
いよいよ佳境でもスラップスティックやらず、露悪的な展開にもならず。
まあ、オールジャンルの作者であり、
 本作は”真面目になりすぎた”と語っていた。
 60代で70の老いを描いたのは、”年をとるのが怖かったから”
筒井康隆さん原作、映画「敵」公開へ…老いと幻想 70代の日々
  
 
モノクロームで丹精な画面の中の、
老いた長塚京三は、小津安二郎の笠智衆のようであり、
日本文学らしい写実から始まる文を読んで、
その意図を想像した。
最後はカメラマンと相談して決めたというが、
伝統的な美をスクリーンで堪能できることを期待している。
 
映画についての情報はこれ以上入れず、楽しみは取っておこう。
それはさておき、小説を読んで、
遊行期は難しい。という想いが去来してしまう。 
 林住期はなんとかやり過ごせても、
 悟りの境地には成れないし、かといって、
 無頼に徹することも出来ない。  
 
そこで、遊行期の生き方について、サクッと調べようとした。
学生期、家住期、林住期、遊行期(インドの四住期)

●「林住期(りんじゅうき)」
 世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。
●「遊行期(ゆぎょうき)」
 人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤。

林住期のことは、「ドリーム・シナリオ」を観てから学習。
しかし、その先は、どうして良いものやら。見当もつかない。
遊ぶように無邪気に余生を過ごすと言われても。デキる気がしない。
 
前回同様、五木寛之に学んでみる。

人生百年時代を生きる私たちは、よいボケかたを求めて試行錯誤をしながら、肉体のみならず、精神も養生していく。それは特に高齢者にとっての「努力義務」であると同時に、ものすごく大きな「楽しみ」のひとつになりえるのではないか、

いきなり難度高いこと言う。

そして努力するためには、まず希望を持つことが大事でしょう。周りから見たら単なるボケに見えるかもしれないけれども、先に紹介した中二の孫とおじいちゃんのように、そのボケには深い意味がある。あるいは、親鸞のように最後まで知的活動は続けられる。 誰にでもそういう可能性があるからこそ、よりよくボケよう、ボケの極地を追求しようという目標に向かって努力できるわけです。

撤退戦を受容しながら、転進に意味を見出す。
無理ゲーな気がするが、方向性は共感出来る。
軽やかに、老いて死ぬ。

蓮如の言葉の中に「人は軽きがよき」という名言があります。年をとるにしたがって重厚にゆったりしていく、という老化の道もあるでしょう。けれども、最後まで軽薄なぐらいにちょろちょろしている。それも一つの望ましい老化のあり方ではないでしょうか。 
ちょっとC調なぐらい軽やか。これはすごく大事なことだと思います。

 
まだ、今一つピンと来ないので、もう一冊。

ときには人間は行儀よさから外れてもいいのです。自分に正直に、渇望して生きること、そしてときにはステイ・フーリッシュであることが大事なのではないか、と自分自身にいい聞かせています。

要は、他人の目を気にせず、やりたいことをやる。
自己啓発で散々コスられたようなことが書いてありました。うーん。
やはりここは、
”老いるショック”そのワードの生みの親に頼るよりありません。
アウト老とは。その戦略。

戒名を付けられてしまう前に自分のキャッチコピーを決めておく、
それが「アウト老」のやり口です。
特徴あるじいさんになろうという運動、
そのムーブメントを、これから僕は自分に対してアピールしていこう、
ということなんです。

”ひとり電通”はマーケティングが巧みだ。ターゲットは自分。
更に、大事な心得を説く。

赤子に還るのだから、せめて”かわいく”。
ポップに老いよう、という主張は皆、共通している。
 
重くなるのが嫌だから、真面目恐怖症。

お気楽に好きを追う、とりあえずカッコいい老い方。

  
そういえば、 
この評価の高い映画を撮った監督の在り方は、遊行っぽい。

小説は自分のペースで、どこでも休憩も出来るけど、
映画は作り手に主導権。客は2時間閉じ込められっぱなし。
それなりの工夫は必要だったろう。  
  
とても楽しみにしています。 遊びのある工夫を。
遊行は軽やかなアウト老。 

 
 
2025.01.21 11:30現在
トランプ就任も、まあ無事通過。
-2σタッチからの反発も、20MAで一旦跳ね返される。
ブレイクはまだ、依然として下半身のレンジの中。
とりあえず、待っている。

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