「シェイプ・オブ・ウォーター」圧倒的な表現力とロマンスに噛み合わない監督の資質。「スリービルボード」で決まり。純愛ならイタリアホモ映画の方が評判いい。

予告編見たときからストーリーは想像がつく、かつ脚本はダメそうな雰囲気。
それを補ってあまりある、圧倒的な映像。
はたして稀代の名作「スリービルボード」に比肩しうる作品足るのか?

汚ねーおっさんのケツがボカシとかどうでもいいよ。
問題は、性描写に関わるとこで、一番大事な半魚人との交配で逃げてること。

まあ、アマゾンは河だから淡水で塩なら海でとれろよとか、
そういう些細なツッコミでなく、描くものがヘタというのは致命的でう。
 
  
冒頭のルーティンなオナニーは、
友達以上恋人未満なジジイの絵描きは性の対象ではないことを表してる。
それは成功してると観ます。

ジジイ両刀じゃねぇのかよ、それとも不能か?
ホモだっていいだろヤレよ。ってイライラしますが、
二人の関係性を的確に表現してます。
 
で、物議かもしてるボカシのシーンですが、どうでもいいです。
小悪党の少市民な夫婦生活でおっさんのケツが映るとこです。
どーでもいいよ、汚ねーからぼかせよって、逆に思うほどでした。

それを描くなら、
半魚人と致すところは、カーテン閉めて省略じゃなくて、
もっとも、官能的に描けて、かつ描くべき見せ場です。
そこ、真っ向描けずに逃げては、どんだけ表現力のスキルあっても意味ありません。

恋物語なのですから、はじらいも悦びも、描けないんじゃ、題材選び間違ってます。
バランスが悪いです。 
 
魅力ない悪役の中間管理職描き過ぎ。
浅く安いリベラル界隈な主張もいりません。
禁断の恋をちゃんと描けよ。
終始、監督はそこ逃げて、表現力だけあるので、まあ、イライラします。

なんかねえ、本気で焼肉喰いにいったのに、
骨付きカルビもロースもなくて、牛タンばかり出された感じです。
いや、牛タンも旨いけどさあ、それ主題じゃない。
 
 
まず、世紀の大発見なのに、アメリカのチームショボ過ぎます。
ソ連との宇宙開発合戦にも応用できそうな内容なのに、
軍の将軍の個人的プロジェクトで、しょぼい中間管理職が一人で全権で、研究職が一人しかいない。
そんな人材不足な体制なはず無いでしょ。
一存で意思決定できるようなプロジェクトのはずないです。

組織描けないなら、脚本で描かなくていいように工夫しろよ。
  
この無能な人たちの失態に対して、クビ切って交代だし、
それに捜査は別の管轄でしょう。
小役人がタイムカードにらめっこって、どんだけ人いないんだよ。

スリービルボード」」では組織が組織としてダメを上手く描いてましたが、
組織って、分業性だったり、官僚的だったりってとこがデル・トロ監督全く描けないです。黒沢清みたい。
今に生きてて、そういうとこのリアル描けないのってダメだと思う。
 
さらに全体の比率として、悪役の小役人の日常とか、悲哀描きすぎです。
魅力ない人物像なので、その時間はとてもタルイです。どんだけ映像立派でも。
そこが物語のテンポ著しく阻害してます。

生きてはみたけれど的なことやりたいなら、異形の愛なんて素材選ぶの間違ってます。
小さな人生描く舞台装置で、相応しいお話用意すべきです。
 
 
 
恋物語を描くにはエモーションに欠ける監督
生殖のシーンもそうですけど、
魅力乏しい小悪党たちに時間取られすぎで、肝心のロマンス時間圧迫されてます。

ソニンちゃんのお姉さんって、
日本人の恋人と結婚しようとして、どっちの両親からも猛反対くらって、駆け落ち同然。
そんな話を昔チョナンカンでしてた記憶があります。
ああ、まさにロミオとジュリエット。
 
ハードル高い方が燃えるし、
過去も未来も星座も超えるから抱きしめてって、エモーションがないとねぇ。

スペインじゃ雨は主に平野に降るそうですが、 
雨の波止場で、行くか別れるかってシーンですよ。
キスくらいしろよ。なんで尻込みしてんの?
好きじゃねえの? 覚悟なさ過ぎだろう。
 
撃たれて半ば強制的に、そっちに行くってのは、物語としてダメでしょ。
そこは意志で超えなきゃ。
 
 
デル・トロって、不能なんじゃね?
映像は圧倒的だし、流れるようにカメラワークは見事ですよ。
でも、エモーションに欠ける。
 
本来であれば、禁断の恋で心中物なのに、その資質は致命的にマッチしてない。
ラテンな人とは思えない。恋に生きろよ。 
 
ミュージカルな恋の有頂天は「勝手にふるえてろ」の方が巧みですし、 
人にあらざる恋は「羊の木」の切迫感が勝ります。
 
   
映像は凄いし、映画の教養的な目配せは分かりますが、
映画の映画と言えば、ニューシネマパラダイスのキスですが、
なんにもいらないと思えるようなキスをしてみせなければ、説得力がありません。
 
美しいけど、不能です。血が通ってない。
 
少市民の背景とかどーでもよいから、
王道どおりに、二人の逃避行描くべきだったと思いますよ。

恋物語なのに、恋を描けてない時点で、
リベラル的主張とかどーでもいいです。

そうはいっても、表現は手段だもの。
 
 
 
 
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