「15時17分、パリ行き」事実に基づいたおはなしの最新版。イーストウッド監督の演出センスは異常。またもや宇多丸さんに感謝。

どんな実話が元で、演者の多くは本人が本人役で演じてる。
この点は押さえてから観に行って正解でした。
旅行のパートをどう受け取るかで、評価は二分するのも分かる。
 
私? テロに巻き込まれることもありうるって、のも含めて旅行あるあるだもの。
そのリアリティの提示は大賛成です。
このアイデアとこの実現。監督の異常な演出力の賜物でしょう。
 
いやー、凄いもの見させてもらいました。
 
  
「日本人にはテロなんて、」って狂信者に地下鉄に毒ガス蒔かれた国で何いってんだか、
お花畑な枕詞には、いつもながらに虫唾が走る今日このごろですが、
  
でもたしかに、
 瞬時に決断して動かなければならない。
 それが正解か不正解かはどうでもいい、それは運だ。
 でも、躊躇したことが致命的なのは人的ミス。
そんな能力は鈍った気がします。しばらくこのイケス社会で暮らしてて。
 
てのが、この映画の話だってことくらいは予備知識入れといた方が楽しめます。
そこに収束してくこと予めキメられて、お話は進む。キリスト教的運命論。
ここはそのつもりで、
過去を遡ってるお話として観た方が、ドキドキします。
 
落第生時代にどんな意味があって、
ありふれた観光あるあるにどんな意味があって、
テロに巻き込まれるのも、その延長にあること。
 
この地続き感に共感できるかどうか、リアリティ感じられるかどうか、
大きく評価の分かれ目になると思います。
 
危機感無い人に危機を説いても無駄ですよね。
それがリアルであればあるほど、観念的な人には通じない。
危機管理の話だけでなく、
会社倒産するまで気付かないサラリーマンとか。イケスの中で生きてる人は居ます。
 
あっと、脱線。本題は。
  
   
「事実に基づくお話」がなんでこんなに多いのか?
企画が通り易い、予算付きやすい。
オリジナル脚本より、内容想定できるのでリスク抑えられる。

って、回答が一般的と思いますが、
ああ、それだけじゃないんだって、今回教えられました。
 
実話には圧倒的な説得力がある。
去年観たのでも、アフターマス、「バリーシール」、「デトロイト」は仲間に入れたくないが、まあ。
乗り物は命預けるので、身につまされる話多いです。
オレだって巻き込まれても不思議ない。
デトロイトですら、観てたときはパキスタンでスパイかと疑われたときの緊張感思い出しましたから。
 
たとえば、
 打ってはホームラン、投げれば150kオーバー。そんな選手が現れてチームを日本一に導く。
 さらに二刀流のままメジャーに挑戦。
とか、
 将棋の天才中学生が、名人も国民栄誉賞の第一人者も倒して、タイトル奪取。
 AIは見つけても人間には指せないような手を平然と指す。
 
そんなシナリオ書いて、企画通るだろうか、
でも、事実だから。
 
人は納得する。説得されちゃう。
テロリスト側に突進する主人公が撃たれなかったのは不発だったからだそうだ。
「ミスファイヤ」ってゴルゴ13でそんなセリフアメトークで語られてましたが、
そんなこと、ライターが創作したら、許して貰えない。
そんな台本、酷評されちゃう。  
  
どうでもいいですが、ボールペンとか身近なものを凶器にする殺し屋が出て来るのは、
ゴルゴ13じゃなくマスター・キートンだったけ。

それはさておき、リアルの提示。それもヒーローもののリアル。
事実に基づくお話とアメコミに二分してるのは、とても象徴的ですよね。
   
 
ただ実話に基づくだけでなく、
本人を使って、本人に再現させる。
日常と地続きのリアルを描く。その最新版の回答でした。
 
その意欲的な試みは成功してるとボクは判断しますし、
素人にどうやって、自然な演技の演出付けたのか、不思議で仕方ありません。
なんで、こんなことができるのだろう。
 
 
 
ドキュメンタリでもなく、刑事Kみたいに本人が本人役。
日曜午後一に鑑賞なので、サンソンはラジコで後で聴くことにしましたが、
そんなことはどうでもよく、

なぜ、「事実に基づくお話」を撮るのか。
 
ドキュメンタリーでいいじゃん。
「デトロイト」よりもっとドキュメンタリで、現代の白人警官の黒人暴行描いた映画ありましたよね。
なんで、それじゃいけないの?

敢えて、今、事実に基づくお話を何故、選ぶの題材として。
 その方が企画が通り易いから?
 良い脚本家が居ないから?
 
それ以上の理由があって、
それだけのチカラが実話にはある。
現代の本物のヒーローを描くには、ただ今現在の最適解。
 
野心があってかつ、それを実現する演出力あってはじめて可能な最新解。
 
 
そのチカラは「スラムドッグ・ミリオネア」がお気に召さない宇多丸おもねじ伏せる。
Writtenっていうんですよね。キリスト教的な運命論。予め書かれいること。
 
結果は分かってって、ときどきフラッシュバック(フォワード?)する。
 
過去の経験が都合よく、「その時」威力を発揮する。

宇多丸師匠、そんな脚本ご都合だって、認めないわけですよ。本来。
これは宗教観とかも下敷きにしたお話だからって、言っても認めない。
 

そんな人が、今回は、
落第生が導かれるようにして、「その時」に必要な技術を習得している。
現実はまったく冴えないままなのに、実は着実に「その時」の準備をしている。

そんな宗教的なお話なのに、あっさり転ぶんですよ。
だって、事実なんだもんん。

わざわざ映画館行くんですから、ほんとはヒーローに会いたい。
で、萎えないで感動したい。
その為に、時間も手間もお金も消費してるんだもの。
  
 
現代の重要と供給について、教えてくれる映画です。
 
 
 
評価分かれる旅行パート。
回想シーンがほとんどの映画ですけど、
三人が出会う少年時代、
軍で必要な技術習得してく落第生時代。
(ああ、高校時代の理科の先生、パイロットになりたかったが視力検査で落とされたとボヤいてた)

ココらへんは、語るべき必然性あります。
ただ、列車に乗り合わせるまでの、旅行パート。
そこまでの必然性はないわけです。
 
ただし、
日常性との地続き、テロに巻き込まれることも含めて旅行あるある。
という意味で、無駄はない。
 
そのリアリティに対する共感度が作品に対する評価に直結すると思われます。
 
 
個人的には、 
三人が魅力的。
シェイプオブウォーター」退屈だったのは、
群像劇でもなく、本筋とも絡まない、魅力ない脇役の日常が、
主題と均等に尺割り振られてた悪平等のせいですよ。
 
ハリウッド的逆シンゴジラで、人物の背景説明しなきゃ気がすまない。
それって、演出としてダサいと思うんですけど。

兎に角、ヒールでもベビーフェイスでも、魅力的じゃなくちゃさ。

アメリカ人として中流以下かもしれない普通の若者のヨーロッパ旅行。
ブチャラティやミスタが出て来るあの風景に、旅行あるある。

ボクは楽しかったですよ。
イタリアもドイツもオランダも行ったことないですけど。
嘘っぽい旧所名跡とかもあるあるだし、二日酔いで「ビールいいです」とか、

で、ついに草なジジイにそそのかされて、遂にアムステルダムからパリ行きに乗る。
乗り物は乗ってしまえば、運命共同体だもの。

ま、旅先でいろんなことありますものね。
そういうこともあります。

で、ヒーローとなるべく、そこに居る。それにはわけがある。
おフランスな言い回しなら、リエゾンデートルでしょうか。
  
 
旅行編は、
リアルの地続きさとか、運命論との架け橋なんだよなぁ。

逃げ込むときは、日本大使館より、アメリカ大使館。
その程度のリアリティは失いたくないねぇ。
 

ま、半島有事の際は、米軍中心とし邦人避難話しついてるポイッけど。
「韓国いくな」って避難勧告でも出たら、安いチケットで行ってみようか。
 
ユニークな髪型の二人はどこかで手打ちできるのかな。
 
ああ、大統領といえば、劇中でも思ったけど、
演説上手くなくちゃ政治家ダメだよな。
ヒトラーとかリンカーンとか有名だけど。

ロナルド・レーガン大統領が歴代一番上手だったらしい。
専門職でなくても、台本読みこなす能力って必要なんだねぇ。

役を演じて人は生きてく存在だし。  

イケス社会との付き合い方にも少し慣れてきたんだけどさ。
いってみたいなよその国。 

乗り物に乗って、ここではない何処かがあるかもしれないし。

生きることに何を欲するかって、安定だけじゃないものね。

 
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