目的が二転三転「Page30」を観て「目的ドリブンの思考法」「為末大学」で再学習。舞台という作り物の演出は平田オリザから「演技と演出」「幕が上がる」「演劇1」

ドリカム中村正人が発起人、の内輪向けの企画。
堤監督の手腕もあり、無事に仕上がってはいるが、ちょっと残念。
破綻を覚悟で、歯を食いしまることは出来なかった。
ラストのスクリーンに映る観客の拍手喝采に鼻白んでしまった。
 ”短期間で長台詞、よく頑張りましたね。” じゃないんだよ。
アマチュア以下の着地。
まあ、
気心知れたミュージシャン発の企画では、失敗はさせられない。
周りは、そつなくまとめてしまう。やむを得ないか。

せめて脚本の段階で、もうちょっと粘れなかったかな。
面白さのコンセプトを動かさずに、一貫性保って欲しかった。
目的がブレブレで成功するもんなのだろうか?
”二兎を追う者は一兎も得ず”と言うが。
 
観る前から、不安はあった。
映画『Page30』DREAMS COME TRUE 中村正人 インタビュー
4月から9月まで常設されるテント型劇場で、
ドリカムの会社のみの出資で、
堤監督が依頼受けて企画から準備した映画。
中村正人の人脈あってこそ、夢が叶う。
が、
違和感は覚えた。その企画意図に、
堤幸彦監督×中村正人の映画『Page30』のために、渋谷に巨大テントシアターがオープン!「ドリカムの夢が叶ったシアターができました」

『Page30』を多くの人に届けたいと考え、K2Pictures代表取締役の紀伊宗之に相談したことからこのテントシアターが生まれたと明かす。「『Page30』は小劇場の密室劇。似たような環境のなかで観ていただくことで、新しい体験をしていただきたい。

趣味であっても、さずがに本末転倒が過ぎる。
 施設の設営、維持、撤去等、総コストは、
 こじんまり手弁当映画の制作費の比ではないはず。
 しかも、
 映画公開終了後も、施設を運営するという。
施設が主、映画が従じゃないの?
 
凡人の想像力では、 
 施設の営業中は舞台を上演して、そのメイキングを映画化する。
そんな、
あくまで施設がメインの企画なら、収まり良いのだが、、
映画の為だったら、他にお金掛けるべきじゃないか!
 
疑問が残るまま、
「極悪女王」唐田えりか主演なら、鑑賞に耐える出来は担保するだろう。
その上、
オシャレキシの演奏が、充実の音響で味わえるなら、損はしないと判断した。

堤幸彦は(デスゲームという)万能定番フォーマットを上手くアレンジ出来たか。
いざ映画館へ。
 
 
 
映画も目的が二転三転。
渋谷でなく池袋で、芝生でなく傾斜の効いた椅子で、
鑑賞してしまった私は、
 そんなお金掛けちゃうなら、もっと脚本の段階で粘れなかったかな。
 まあ、ミュージシャンが口出し出来る領域じゃないから、仕方ないな。。
滞り無くエレベータに乗って帰宅。無念である。
 
以下の順で、劇の目的は変更される。 
 ①無理な制約の中、演者だけで舞台を成立させる
 ②芸能有力者に目に留まるオーディション
 ③無事30枚の脚本を全部セリフ言えたら偉い

①無理な制約の中、演者だけで舞台を成立させる
 本番4日前に脚本渡される。
 どの役でもいいよう、全員分覚えること義務化。
 配役は未定、決定方法も未知。
 良きデスゲーム環境。
  本番舞台で稽古。缶詰。
  併設のホテル宿泊、食事も充実で不自由はない。
  ネット遮断。外部と連絡も不可。
 プレイヤーは4人。
 ゲームマスターはプレイヤーの一人が兼任。

 デスゲームの説明から、キャラ設定がプレゼンされる。
 ジーコジャパンのような構成。
 中田ヒデ
  唐沢えりか演じる、TVや映画で活躍する女優。
  意識高く、感じ悪い。
  他人に指図するが、(ヒデと違い)身勝手な言い分。
  舞台の大げさな演技には馴染めない。
  他より実力も名もあるが、準主役級で伸び悩む。
  ワガママな王様に描かれる。

 福西 
  舞台出身でデカい芝居。ヒデと対立。
  劇中では、売れず崖っぷちと背景が描かれる。
  (インテリヤクザ的な悪質感は無い)

 宮本
  ベテラン女優で無難な人材。ゲームマスター兼任。
  中立を保ち調整。大人の対応。
  (実際の宮本は守備陣側だけど)会長であることも明かされる。 

 柳沢
  中村正人の奥さんが演じる。縁故と思われる。
  劇中でも、音楽畑出身で役者は経験浅い設定。
  QBKにも似て、
  稽古でも上手くゆかず、演技力不足に苦悩するという、
  本当は大変難しい役。(松岡茉優や伊藤沙莉が適任なレベル)
   
 そこに監督不在が告げられる。演技プランは特定出来ない。
 ドラマと舞台での演技の違いが対立軸なら面白い。
 前半のプレゼンは上々で、堤監督も緊張感を良く演出していた。
 が、
 子供じみたイガミ合いに終始し話が進まない。
 4人のキャラ立ちも不充分、背景の説明で妥協している。
 (演技とその指導が徹底できてない、準備期間が足りてないと想像)
 
 本来は、
  ”これで舞台が成立するのか?”
 と困惑しつつも、何とか作品を完成させようとプレイヤーが奮闘する、
 「シン・仮面ライダー」NHKドキュメンタリーの森山未來や池松壮亮のような姿、
 それを魅せてこそ、この映画で劇中劇をやる価値があるんじゃないの。
 目的は”舞台本番を成立させること”のはず。
 と、OKを出した中村正人に反感を覚えた。
 
 
②芸能有力者に目に留まるオーディション 
 そこに、新たな設定が追加される。
 観客は有力な芸能関係者だという。
 目に留まるチャンスが広がると告げられる。
 参加者は俄然と張り切る。
 結局、
 ①の目的は、この段階で交代が決まる。
 なら最初からそうしろよ。
   
 ①を放棄してオーディションで興味つなぐなら、ASAYANでいい。 
 最後に芸能事務所がプラカード挙げればいいよ。
 そもそもなぜ、この4人なのか?
 その意味付け無いまま、②は成立するのか。
 そこはせめてクリアした脚本にOk出せよ。
 おざなりに夢が叶っちゃ、客としては醒めてしまう。
 
 その上、致命的かと感じたのは、
 新劇調の劇中劇は、長ゼリフで難しい単語も多い。だから、
 結局は、
 誰が演っても大差ない。
 出来栄えもテイストも一緒。どの配役でも大同小異。
 好きにしたらいいよ。
 
 役者も監督も、緊張を持続しようと奮戦してるけど、、
 ヒット曲は歌姫の歌唱力あってこそ。再認識してしまう。
 
 
③無事30枚の脚本を全部セリフ言えたら偉い 
 アマチュアの企画は、手段が目的化しガチ。
 セリフを朗々と唱えることは、目的じゃない。
 劇中最後に、みんなで仲良く合唱するけれど、
 その歌で果たして、
  客は感動するのか? 紅白のトリが務まるのか?
 
 確かに、最近の徒競走は順位付けしないと聞くけれど、
 着地が安易過ぎて、
 これまでの努力と資本が台無しに思えてしまう。
 意欲的な試みなだけに、残念無念。
 庵野秀明のような評価を得る覚悟で、実験は出来ない。
 やむなし。 
 
酷評するような出来ではないのだが、敗北感も抱く。
納得がいかない。
 作品の登場人物の目的も、企画の目的も、
こんなブレブレにフリーに動くものだろうか。受け止められない。
 
ケイスケ・ホンダが岡田監督の要求に応えるのは4年後で、
勝利を目的にする。明確に現実的な選択をする。甘いことは言わない。
目的に向け最適化しなければ、勝利は掴めない。世界と戦うのだから。
 
逆に自腹なのだから、
夢の実現が目的ならば、
それだけで、いいじゃないかと。思い直してみたりもする。
責任を負うとは、経済的損失を負うこと。
さだまさしだって、米米CLUBだって、
桑田佳祐は興行的には成功したらしいから、そうあっては欲しい。。 
 
 
自宅に戻り、
目的が明確な方が、お金投じ易いので再学習。 

骨子は、

成果創出のつながりは〈目的─目標─手段〉という三層ピラミッド構造によって成り立っている。 
すなわち、こういうことだ。
 目的(Why):何のために
 目標(What):何を目指して
 手段(How):どのように達成するか

目的を設定する際には、「できる/できない」の話はひとまず脇に置き、まずは、「~すべき」「~したい」というゼロベースの思いから出発すること。そうして目的をセットしてから、次に「どのようにそれを実現するか」と考えるのだ。

この言及は素晴らしい。

分析思考のベクトルを180度転換させること。それは、「つまるところ我々が目指すべきはこれだ」と示す総合(シンセシス)の思考だ。「つまるところ何のために?」と問い、
自身のポジション、見据える時間軸、意志、使命、組織内の問題認識や要求、外部環境の変化といった数々の要素をひっくるめて一つの目的へと収束させていく

目的から目標へのプロセスを示す。

目標は目的をいくつかの部分に分けて具体化したものだ。言いかえれば、「目標の設定」とは「目的の切り分け」に他ならない。そのときに基本となる切り口が次の二つだ。
1 構成要素への切り分け
2 時間軸での切り分け

以下、手段の話に続く。
具体的なやり方は一旦置いて、
要は、
目的を起点に設計図を作ってから実行に至ると、
目的に合致した成果を得やすい。ということ。
 
為末大の方が分かりやすいかもしれない。
 
↑設計図を都度確認せよと説く。

中でも、勝利条件の解説↑は、傾聴に値する。
戦略に至る明確な設計図を得る。

戦略とは勝利条件という判断軸によって決められた目標のために、具体的にやることを決めるということだ。それは何をやらないかを決めることでもある。 
すべては勝利条件から始まっている。勝利条件とは夢であり、欲であり、ヴィジョンでもある。こと個人競技に関しては、勝利条件の設定は自分にしかできない。だから、自分が本当は何をやりたいのか、成し遂げたいのかが不明確であればそれ以下の目標や戦略もすべて不明瞭になり、評価ができなくなる。突き詰めて自問し、自分は何を勝利条件に据えるのか、言い換えれば何を優先し、何を捨てるのかがクリアになればなるほど、選択は早くシンプルになり、成功確率は高くなる。

この映画と相応しい上映設備を自ら立ち上げた時点で、 
勝利条件を満たしたのだろうな。
名の有る、ちょっと畑違いの手弁当な映画は、
大概、
観客である私を満たすことが、勝利の条件に含まれていない。
健治と正人。二人の中村に、最近私は勝手に敗北した。
 
 
まだ、悔しさが残るので、
演出というものを知ろうと、平田オリザに手を出してしまった。

調整役から、より積極的に世界観を伝える役割を担う。

整理係が、何か座内に衝突があった時に働く、あるいはその衝突を事前に回避するための役回りであるのに対して、演出家には個人的な世界観、芸術観があり、それに基づいて積極的に作品創りを進めていきます。

劇と観客の間でイメージの共有を成立させるのが第一の仕事。

いままでは、英雄は英雄らしく、王様は王様らしく振る舞っていればよかったわけですが、ここに描かれているのは、きわめて標準的な人間です。どのように演じることも可能に見えるし、またどう演じても、間違っていると言われる可能性がある。
-中略-
そこで、イメージの共有を助ける、あるいは逆により強いイメージを持ってそれを言語化できる能力を持った「演出家」という職業が誕生したのではないでしょうか。

奇をてらわず、リアルが伝わる表現の練習↓。

ワークショップの実際↑を観て、少し理解したかもしれない。
「Page30」の場合、
 調整役(舞台監督)も演出家も劇中劇には居ない。
 それでも演劇を成立させことの困難さと、プレイヤー達の奮闘が、
 描かれると期待していたんだな私は。
  実験的に本当に演者に任せるでも、
  その状況に堤幸彦が演出付けるでも、
 どちらでもよかったのに、、、
 実際は、
 しょうもないイガミ合いからオーディションに移行。
演技プランが役者ごとにマチマチでは、観客にイメージの共有が出来ない。
それを統合し、共有出来るものにする。
逆に、それは大変な仕事であると、思い至ることは出来たけど。
 
本当は仮面ライダー同様、メイキングが観たかった。
配信されてないので、平田オリザ原作の本編を観た。

お金払ってから、本広監督作品と知った。
冒頭のシーンで分かった、「ヨーロッパ企画」に謝れと思った。
もう5人で、ピンクがボリューミーで、時代が分かった。
稽古のシーンは思いの外少なく、逆にアイドルに振ることもなく。
カメオ出演はうるさいが、ちゃんとした青春映画だった。
赤はリーダーで、緑はやっぱり転校生で、
吉岡里帆、伊藤沙莉、芳根京子が目立たず共演してた。
 この時点では、まだ無名で他の演者と横一線だったのかな。
 高校演劇が舞台だけど、皆プロなんだよなぁ。端役だろうと。
 子役から始めても、どこかで諦める人も多い世界だろうな。
 部活に打ち込む高校生とは、違う人生送ってる人達。
今は4人で、キレイなお姉さんになって、
 赤は奈良の方と結婚して、
 紫は名古屋が嫌いなのか、トレード後すぐ別れた。
 
時代の変遷ばかり、気になってしまったので、
面倒くさそうだが、ドキュメンタリーを観ることにした。

劇団主宰の大変さも、描かれていたが、
稽古風景をメインに早送りもしつつ観た。(流石に長い)
現実は、ここまで細かいんだから、尚のこと、
演者と演出家のこと、描いて欲しかったな。そのために劇場作るくらいなら。
伝えるのは、本当に大変。
 
分かりやすさが覇権を握るのは、
地下鉄サリン事件以降と背景を説明してた。 
曰く、
得体の知れないものが忌み嫌われる時代になり、作劇も変わると。
鴻上尚史も似たようなこと言う。

安心して、理解の範疇で驚けるって、大事なんだなぁ。
セリフが日常会話ではなく、機能なのには理由がある。
それから、  
ロールプレイングゲームのように進化を遂げていくけど、
今は、北朝鮮のマスゲーム並みの統一感まで。
 
演出の目的は、観客ともイメージを共有することと、一旦して。
時代によって、プロは手段も選んでいる。
そんな厳しい場所で、夢を叶える音楽プロデューサー。
これはこれで、現代のおとぎ話と納得することにした。
 
 
ふと、魔法のような楽曲の時代を聴きたくなった。

逆境こそチャンスと歌った頃は、
紅白出場は夢でなく、目標だったはず。
夢は叶うけど、
平田オリザは大事なのは第一に才能と言ってた。
人を元気にする才能こそアイドル。
 
 
2025.04.19現在 
 MACDはゴールデンクロスし、
 来週は、20MA超えを試すと思われ、
 去年9月の谷で抵抗されるかどうかがポイント。
 一旦は2σまでの回復あると想定するが、
 春の二番底もトランプ発言次第。
 調子に乗らず、従いてゆこう。

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