何も語らない映画「ジュリーは沈黙したままで」 ( ˙ㅿ˙ )ポカーンな私への補助線。 グルーミングとは? 「ずるい人に騙された時どう生きるか」

予告編を観て、興味深い。

世間の評は見てみたけれど、
 公開2日目なのと、
 マイナー過ぎるのと、
書き込みが少なすぎて、傾向は掴めず。

大作続くのも疲れるし、
入国審査」のような、単館系の丁度良い作品かと思い、
大した予習もせず気軽に、勝手に本作に期待した。
中央前目に席を予約。100分なら余裕。
 
 
 
 
サスペンスではなく、予告編はミスリードだった。
単にアート系と呼ぶのも、それもちょっと違う。
フィクションなのにドキュメンタリーかと。混乱してしまう。
問題提起としても、適切な表現なのか、判断が出来ない。
本作は何も語らないのだから。
 
これほどの不親切設計が日本で公開されるのは、
長所も有るけれど、それだけでは配給に至るまい。
大阪なおみのネームバリューあってこそ。

もう、セカンドキャリアの印象の方が強く、
日本テニス界の輝かしいパイオニアだったことも忘れていた。
人生は短いのかもしれないが、競技人生はもっと短い。
 
 
それはさておき、
鑑賞後感を率直に、
 映像は素晴らしい。見応え有り。
 音楽は全般に邪魔。だから編集も疑問。
 演技はリアル。(テニス上手い)演技と呼ぶのか知らんけど。 
それ以上のことは、分からなくて、思えない。
 
多くの日本の観客は、
映像表現を全般的に褒めることは出来ても、
ストーリーには、置いてけぼりだと想像する。 
私と同じく。

ひとまずポカーン。内容は理解に至らず。
 ウケを狙わない演出は尊いのか、
 ”解釈の余地を残す”のは、ズルくないか。
 育った環境が違うから、分からないだけなのか。  
  
 
2日くらい経って、ようやく最低限の理解に及ぶ。
 グルーミングとは そういうこと。なのか。

これは迷子になる。
スポーツ界に蔓延するコーチのパワハラセクハラの問題。 
という理解では不十分で、
グルーミング“ の知識は必須科目だった。

鑑賞の補助線を披露します。
100%正しい確証はありませんが、披露します。
 1.本作で扱うグルーミングとは
 2.本作でのコーチの仕事の描かれ方
 3.主人公の選択、アスリートとして
 4.テーマと創作物の食い合わせ
 
 
必要に応じ、ネタバレ有り。
 本作は、
 謎解きでもないので、構わず。
 お金を払って鑑賞するなら、
 迷子にならないことを優先した方が賢明。(でした。)
 
何も語らない演出と、
映像、音楽、本物のテニスプレイは、
観て頂ければ分かりますので、省きます。
 
 
1.本作で扱うグルーミングとは
 Our Waveより

グルーミングとは、
加害者が信頼を得て徐々に被害者を通常は快適ではない状況に
強制するために使用する意図的な操作手法を指します。
このプロセスは、感情的な操作や性的搾取を含む
さまざまな形で行われることがあります。

 本作では、
 コーチから生徒への性的搾取、その前段階とし扱われる。
 以下の5段階のプロセスを経る。

被害者を狙う 加害者はしばしば最初に被害者を観察し、
最も脆弱で孤立している人を基準にして彼らを特定します。
これは児童虐待の状況で一般的ですが、
大人の関係でも起こることがあります。

信頼を得る 加害者の次の手口は、
被害者に魅力を持って信頼を得たり、
注意を払ったり、親切を示したりすることです。

サポートシステムから孤立する 
別の洗脳行動は、加害者がメンター、友人、または恋人の役割を果たし、
被害者を徐々に支援システムから孤立させることです。

境界値テスト この段階にはさまざまな形があります。
それは、加害者が「無害だ」と言うであろう徐々の脱感作、不適切なジョーク、
または秘密を守るように求めることを含むことがあります。

コントロールを維持する 虐待者が犠牲者を沈黙させるために、
操作、罪悪感、脅迫、または贈賄を使って支配を維持するのが、
ほとんどの場合、グルーミングの最終段階です。

 自動翻訳らしく、読みづらいのですが文意は分かります。
 境界値テストとは、
  加害者が突破口を見つけて、
  徐々に被害者を侵食してゆく手口ですかね。
  
 重要な点は、
 性的搾取やセクハラを行ったらNGは前提として、
 加害者が被害者を誘導する前段階の行為で、
 セクハラとまでは言えない行為が該当すること。

 日本でも、法改正が行われた。
 グルーミングは法的に認定された。 
 
 本作では、何も語られない。
  女子生徒が自殺した理由も、 
  彼女にコーチが何をしたのかも。
  
  作中で示される、主人公とコーチの接触は、
   勤務時間外の夜、個人的に携帯で連絡を取り合う。
   二人で食事する。
   手を取ろうとし、”やめて”と言われて離す。
  それだけ。
  
  コーチに邪な思惑が有ったのかどうか、
  (意図に関わらず)どこがグルーミングと認定されるのか? 
 
 観客に対して、脚本は沈黙を続ける。  
  
 因みに、
 現実世界では、
  安藤美姫コーチの件を思い出してしまう。

  ゴシップでなく、コーチングの問題として、

安藤コーチと選手の練習場外の距離感は不適切なのか?
安藤美姫コーチの選手へのスキンシップが話題になっていますが、
そもそも練習場以外で未成年選手とプライベートで交流することは適切だったのでしょうか。
親身になりすぎた距離感は「コーチング」なのか、
もしくは選手や指導者がそれぞれの歓心を買おうとする行動なのか、
あるいはグルーミングなのでしょうか?
コーチングとグルーミングの境界線を見極めることが重要です。
-中略-
 
安藤コーチの練習時間以外での選手とのプライベートな交流は、
依怙贔屓と受け取られ嫌悪感や不信感を持つ可能性もあります。
とりわけ未成年選手の場合や権力関係が明らかな場合、
グルーミングと見なされる可能性があります。
未成年はまだ発達途上にあり、
権力関係の中で適切な判断を下すのが難しい場合があるからです。
-中略-
 
私がフランスでナショナルコーチに就任していた時は、
コーチと選手の間のプライベートの場での交流を禁止していました。
練習場以外での選手と二人きりの食事会も禁止でした。
なぜなら、それは特別指導ではなく他の選手やコーチへの背任行為になる可能性があるからです。

 柔道の溝口紀子さんのセカンドキャリアを改めて知った。
 かつて、女子柔道も、コーチのパワハラを告発されていた。

 現実の正義の行方は、一旦置いて裁かず、
 分からないことは分からない。
 作中では、
  ベルギーでは、どこから法的にNGで、
  クラブでは、コーチの禁止行為はどう規定されていたのか、
 全く、観客に情報を与えません。
 寧ろ、感情移入を拒絶するかのよう、日常が淡々と描かれる。 
  
 
2.本作でのコーチの仕事の描かれ方
 代わりの新コーチは、
  選手と接するとき、後ろ手に組むなど、 
  節度ある距離感を取るように、気を使っている。
 
 古いコーチは、
  昭和な世代なだけ、かもしれない。
  悪意が有った、のかもしれない。

 ある練習中、新コーチは主人公に、
 サーブのお手本を他の生徒に見せてやってくれと言う。
 それは依怙贔屓で、
 グルーミングに当たるかもしれないことを、
 分かる観客にだけ分かるように描く。(分かんないよ!)

 
3.主人公の選択、アスリートとして
 少女は段々と、
 新コーチを信頼し、古いコーチの携帯にも出なくなる。
 特に告白もせず、練習を続けプロの階段を登ってゆく。
 噂では、古いコーチの状況は泥沼化してるみたい。
 
 明確に描かれることはないが、
 選手は賢明な選択をしたらしい。 
 まあ、
 正義を追求するのが、仕事じゃないし。 
 プロを目指しているなら、プロになることが最優先事項。
 騒ぎに巻き込まれても、メリットは何も無い。
 彼女は彼女にとって”正しい”選択をした。

搾取タイプの人に、話しかけられて、
答えてしまったら、それでおしまいである。断る必要がない。
「話しかけられて、答えることもしないのですか?」と言われるかもしれない。
これが感情的恐喝である。

 新コーチは充分信頼に足る。教える技量が劣るようにも見えない。
 作中のコーチの本当の姿が描かれる訳でもないが、
 彼女の中では、いずれ結論が出るのだろう。
 そう、予感させて物語は終わる。

関係が切れたときに、初めて本当の姿が分かる  
ある人が言った。
「私は小さい頃から疑うことを禁じられていた」  
それは両親が悪いことをしていたからである。  
その結果、人を疑えないで、いつも騙されていた。
真面目な人で、一生懸命働いたけれども、生涯貧しかった。

 実力が付いて、活躍すればするほど、いろんな人が寄ってくるだろう。
 尚のこと、人を見る目も養わなければ。   

 アスリートには、フィジカルのピークが有り、
 若くして必然的に、人生の岐路に数多く立たされる。
 進路を決める15歳で、
 あるいはもっと若い頃から、大人扱いされる。
  
 筋肉同様に、
 孤独に絶えられる大人へと、自分を鍛えなければ、
 一握りの人だけが、可能な職業を選択できない。
 が、
 あの演出で観客に伝わるかどうかは、また別のお話。
 
 
4.テーマと創作物の食い合わせ
 監督のインタビューを幾つか読みましたが、
 何言ってんだか、判然としません。
 
 本作を撮るのに、
 本物のプロの卵を映画に使うのは、正義なんでしょうか。
 掲げる正義と、クリエータとしての動機が、
 なんだか、一致しない。
 
 正義を優先するのなら、あの演出は正解なのだろうか。
 まあ、
 正義を追求するのがクリエータの仕事ではないし。
 優先すべきことは、きっと他に有るよ。
 制作費出して貰ってるなら、バレちゃいけない。
 
 それは、内緒の話。
 処世の術に長けた監督は饒舌ながら、黙して語らず。
 
 
 
 人は、どうしても都合の良いよう解釈してしまう脳を戴く。
 格言とは意味が異なり、見て見ぬ振りの歌だった。

 
 
 
2025.10.06 10:00 現在
 高市相殺誕生は大きな御祝儀となりました。
 共和党政権なので、当然の流れですが、
 影響は想像以上でした。
 うーん、こういう処で買える人が強いんだろうけど、
 私は無理でした。

 

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