月曜の朝、株価は一旦持ち直しそうですね。
これで一旦の急場はしのげそう。
(個人的には、先にもう一回下落局面あるとまだ、思ってます。)
菅官房長官の出馬は、そりゃニ階幹事長の後ろ盾が先にあってのこと。
当たり前じゃん、先そんなになく少数派で出る意味あんのかよ。
総理になりたいという野望がある人には見えないし、
出なくていいならそのまま身を引くかと、想像してた。
菅さん、現時点でのGOTOの継続は考え直した方が良いと思うが、
手堅く政権運営してくれる期待が一番あるので、支持します。
ニ階さんが親中派なので、嫌う人も多いですが、
老害コンビだろうとなんだろうと、
ここは、一旦繋いでもらおう。混乱はコロナ収束の見通し立ってからでいい。
今優先すべきことを優先してくれれば、それでいい。
菅さんダメなら、次の衆議院選のときに変えりゃいいよ。
対抗を選べないのは、
岸田さんじゃ、政策以前にヘナチョコすぎて嫌だ。
立つべきときに立てなかった決断力の無さで、既に勝負は決してる。
優秀なんだろうし、人格も立派かもしれないけど、
前回立てなきゃね、おぼっちゃん育ちのひ弱さを感じてしまう。
河野さんは、出とく必要はあるけど、まだ今じゃない。
他は、党内まとめられるとは思えない、
石破さんとか左傾マスコミ以外に人望なさすぎて無理。
安全なところから石投げるような人ほど、
人生の岐路となるような他人のも、自分のも意思決定に甘いものです。
ここでまた機能しない政権出来たら、自分の生活に直接跳ね返ってくるよ。
とりあえず、今はまだ感染爆発は起こしてないんだから。
消費税減税求めるなら、モリカケで騒いだのは悪手だったね。
結局、財務省のリークに政治家は勝てない。
ご都合な正義で感情の消費を優先して、結局自分の首締める人とは関わりたくない。
人物でも、政策でも、いいから、批判の前に何を支持するのかを書けよ。
与党が汚いことは、野党がキレイなことは意味しないよ。
投票という意思決定するのだから、批判だけで生きては一生自立できない。
ただ不満垂れ流しているのは畜生道。家畜の生き方。人民の楽園だよ。
煙草モウモウな締め切った部屋で福島の米について健康被害説くような、
ご都合な思考停止した存在になってしまう。批判はどんな愚か者でも出来るのだから。
それはともかく、
これじゃ、毒親に苦しむ日本の子供もたくさん居て当然。
歳を重ねた子供が親の役をするんだもの。
そんな連鎖の中で、生まれてくる人生を選んできたような気もする。
愛の無い環境で育っても、愛ある存在になる訓練。
だとしたら、やっぱり世界は完璧なんだろうな。
自分が変わらないと、
やらされ仕事してる人達とばかり関わって、結局は虚無感に襲われる。
去年以来、これが宿題と自覚があって、
課題の分離を学び、
自分で自分を愛する内側から満たすワークで涙し、
毒親育ちな運命も受け入れて、欠陥込みで生きて行かなきゃと覚悟し、
さらに、
久米宏さんの姿に、自ら灯りを灯せない晩年に恐怖し、
最近は、ようやく、
人にポジティブな影響を与える人になる。
をテーマにすれば、労働の虚無感のわだちから解放されそうと方向を定めてみました。
闇属性から光へ転生できれば、宿題どころか人生の課題すべてクリアな気もします。
そしたら、反芻が起こりました。
高校の頃のこと書きましたが、
こっちは、
深夜まで大音量でテレビつけっぱなしで、いつも怒鳴り合ってる狭い居住空間で暮らしてるから、
学校の図書室とか、勉強に適した環境を選び、ハンデある中で極力工夫してたのに。
あるとき「家ではあんまり勉強しなかった、」とか抜かした、あのクズのこと、
当時の怒りの感情がまざまざと蘇ってきました。
人をくさしてマウンティングすることしか関心が無い。劣等感の塊。
あ、反芻してる、没入するな、これは映画でオレは観客。
今はそれに気付けます。
そう、
承認したり、励ましたり、勇気づけたり、配慮したり、協力したり、
そんなことに意識を向けると、
それが得られなかった過去の哀しみが触発されるのです。
いつも孤立無援で辛かったね。口先ばかりのニセ味方ばかりで。
感情と境遇を受容します。認めます。
もうその哀しみも解放してあげましょうよ。
自分で自分の親になり、付き合いたい人とだけ付き合えばいい。
今はもう、いい時代です。
経済は落ちても、自殺率は減ってるそうです。
距離って大事だね。
彼らを反面教師に光属性に転じよう。
苫米地式コーチングでは、時間は未来から過去に流れます。
毒親に苦しむ時代と場所を選んで生まれてきて、
そこから学んで、ついに光の側に往く。
光属性がゴールで、そうなるために、この運命は決まっていた。
そう解釈すると、この人生もまんざらでもないと思えてきます。
かつて、多くの投資家と交流しましたけど、
カネと時間に余裕あるばっかりに愛人作ったり、
一年だけ本人が望まない留学させようとしたり、
そんな人も居て、辛かったですね。
投資は私の人生を救ってくれましたが、そこがゴールじゃないと、
予定されていたんですね。
なるほど、現象の意味はゴール次第。
ようやく実感しました。
インスタントな自己投影でない他者理解。
付き合いたい人とは光属性で接する。
反面教師からしか学べないことがあったんだろうなぁ。
で一番の学びは、
ゆるすって、
自分の怒りや憎しみや恨み、その奥にある哀しみを解放して、
過去から自由になることであって、
悪人の悪を許容したり、泣き寝入りすることじゃない。
まちがった、きれい事の「ゆるし」がまだまだ横行してるけど、
特に毒親問題では、逆効果。
砂糖で塩味を中和しようとするようなもの健康に悪いよ。
縁を切るときあの存在は、「お前は許せないんだね」と捨て台詞吐いてた。
説明する義務も無いので黙っていたけど、
過去どうこう以前に、
アンタの言動に責任を持たない動物以下の人格じゃ、今現在付き合えない。
言動には責任が伴うということを体験させてあげるのが、
元血縁からの可能な、せめてもの孝行。
そして、「ゆるす」というのはそういうことじゃないんだよ。
アンタの相変わらずな言動に接しても、
距離をおいて対処できてる時点で、それが「ゆるし」。
愛に対する能力が無い人が親の役についてしまうこともある。
それと、
奴隷労働の経験しかないから、
自分の意思決定が自分のリスクで、良くも悪くも自分に返ってくることの経験が無い。
自由の実感が無い。
そういう人に一生分からないこともあると、今のオレは理解できてる。
奴隷の発想しかできない。支配されてるから、支配がストレスのはけ口。
「批判するだけの愚か者」という視点は、自由を経験した人間の特権。
おっと、マウントしそうだ。分析するだけでいい。
アンタはよく、バカにするとかしないとか、好きだったよね。
分析や評価は感情でするもんじゃないんだよ。
プログラムがオートマチックに答え出すもの。オレ自身でもどうしようもない。
残念な分析結果の先にある感情は、ただ哀しみ。それを受容したんだよ。
対処は対処、感情は感情。
今オレは、哺乳類脳ではなく、人間脳を使って対峙している。
ずいぶん長いこと、時間かかりました。
没入せずに観客であることに気づく。それが第一歩で。
憎んでも恨んでも構わないと自分に許可を出せたのが次のステップ。
そこからは、反芻したら、原因究明して、日々解放。
まあ、自由になる勇気。本能に抗うような決断。
ようやくいい本見つけて、読みました。
今回もコメント欄引用してしまう。
確かに一理あるし、著者のいうことと同じことと似たような意見をカウンセラーにも言われました。
でも、唯一絶対の解決が「絶縁」だけというのは、とても偏っている印象です。
そうできない人もいます。
<中略>
毒親にもいろいろ程度があって、この本で紹介されている症例よりは
ずっとマシの中間層(毒親予備軍)がいるわけです。
その毒親にやはり長年苦しめられている、でも絶縁までは考えられないという人向けではありません。
とても過激な本だと思います。
<中略>
著者には妻も子もあり、新しい家族を得られているので実母と絶縁しても孤独ではないと
強気な意見ですが、将来的に子供をもつ前提で書かれたメッセージは
そうではない人には大変冷たい、酷な内容に思えました。
本当にカウンセラーなのかな、と思いました。
読者にだっていろんな年齢層がいるのです。
私は、長年一人暮らしをしていたので、ずっとおかしいとは思っていた実母が
実は毒親であることに気付くのにすごく遅れましたし、
自身の不安神経症やマイナス思考の由来が親かもしれないと気付くのもとても遅くなりました。
でも、離れていても苦しめられている人はたくさんいます。
私は、5分と経たずに実母のわけのわからない生態が頭をよぎり毎日心を痛めて苦しんでいます。
頭から離れない、フラッシュバックのように降ってくる、はやく解放されたいと
すがる思いで本を手にしました。
著者の母親に比べてばたいしたことはないかもしれませんが。
参考にできそうな部分はとりあえず、実行したいと思います。
比べてマシとかないよ。他人のケースは関係ない。
アンタの親何人も居る訳じゃないんだし。
「5分と経たずに実母のわけのわからない生態が頭をよぎり毎日心を痛めて苦しんでいます。」
充分だよ。
なにが「たいしたことはない」だよ。
そんな被害出てんのに、甘いこと言ってるから付け込まれる。
現実を受容できない依存。
「将来的に子供をもつ前提で書かれたメッセージは
そうではない人には大変冷たい、酷な内容に思えました。」
孤独を恐れない勇気を持てるかどうかも、子供いるかどうか関係ないよ。
そうではない人の私が保証する。
「絶縁できない」は現実と向き合う覚悟が決まってない人の主観。
別にしなくてもいいけど、
出来る出来ないに関しては出来る。Yes We Can !
実質的に絶縁できるかどうかを決めるのは、自由になる勇気があるかどうか、
自由は不安だし、怖いよ。
勇気なきゃ、苦しみ続けるしかないよ残念ながら。かつての私のように。
結果、絶縁するしかハッピーエンドはない。それは諦めるしかないんだな。
というか、共依存関係が終われば、自ずから離れることになる。
ブラック企業も同じ、依存が解ければ離職する。
今の自分に調度いい親じゃなくなれば、
波動が同調しないと交われない。共鳴がなければ関係は続かない。
物理法則は血よりも絶対。
自ずから、自分が自分の親になることになる。
私の場合、フリーランスや投資のおかげで、
彼らとは違う見識が身についたと思う。
仕事や投資には感謝している。
そうでなければ、調度いいままだった。
「絶縁できない」は目的論。調度いい理由を探してる。
この本、ゲシュタルトの祈りで始まるけど、
自分を生きるのは勇気が要る。
ただ、相手を変えようとも思わなくていい。
不満は非生産的だし、世界は勝手に完璧。
自分が変われば、現実という映画は勝手にフィルムチェンジ。
自分のちからじゃなかったな。神様ありがとう。
仕事や投資のお陰で自分が変われて。
私の場合、ノートに書いたら、
向こうから「縁切り」を口にするという幸運を神様が叶えてくれたけど、
この本では、自力で法的な対応までしている。
スゴイからいっぱい引用してしまう。
毒親の五つの定義
・本当の毒親は「死ぬまで」毒親
・毒親の涙にだまされない
・毒親は自分の子どもに平気で噓をつき、陥れる
・毒親の頭にあるのは自己保身だけ
・あなたの言葉を「本当に」受け入れられる親は毒親ではない
ホンコレ。何度痛い目みたか。
毒親に情けは仇でしかない
あなたの前で毒親が急にしおらしくなり、あなたの葛藤に理解を示したような態度を取っても、
時間が経てばケロリと元に戻ってしまうのが関の山です。「ようやく、私の苦しみを受け止めてくれたんだ」
しかし、それはぬか喜びかもしれません。「本当に毒親であれば、そう簡単に人間性が変わることはない」
と私は断言します。突然変異であるサイコパスを除いた多くの毒親は、その親からも心の棘を刺されてきた人たちです。
その長年刺さったままの棘による毒は、よほどのことがない限り完全に解毒されることはありません。
「親といえども、毒親は毒親」
そう思えるようにならない限り、毒親と対決するべきではありません。
存在の本質は変わらないからね、
ただ、哺乳類脳に反して、
客観的に自分も他者も、その関係性も、見極められるかは、
自分を生きる勇気しだい。
親戚縁者は敵と覚悟する、在庫一掃
「自分を信じてくれる人だけ信じてくれればいい」
「血縁者の中で孤立してもかまわない」
「親族といっても、いざとなれば他人」
ドライな考え方かもしれませんが、このくらい強い覚悟を持つことができれば、たとえ血族の中で孤立しても恐れることはないでしょう。
私は、親族とのつながりが切れた時に気づいたことがあります。「その人の本当の心を知りたければ、その人との過去の関わりを思い出せばいい」
親戚とか教師とか兄弟とか、まだまだ厄介な連中もいます。
基本は在庫一掃です。縁を切るのですから、
集団のホメオスタシスから逃れるって、それなりの抵抗受けます。
「対決」の意味
毒親と対決することの目的は、自身の中にある毒親の脅威をぬぐい去ることだけです。
<中略>
毒親と対決することで、強い心と自由を手に入れることが出来ます。
目を背ければ背けるほど、恐怖は心の中で増大します。
<中略>
私が過去を探る作業をすすめるのには、きちんとした理由があります。それは、「過去に受けた傷をしっかり解消しない限り、毒親の呪縛は消えない」
という事実があるからです。
対決は儀式、過去と決別し、今に生まれ変わるための。
解毒ノートに書く、勇気を持って向き合う
あなたが今やるべきことは、親を許すことではありません。自身の心にある抑圧された感情をすべて吐き出してしまうことです。
せっかく親に対する本当の気持ちに気づき始めたのに、安易に親を許すことでその気持ちから目を逸してしまっては、
自分自身を一生偽り続けていくのと同じです。
<中略>
親を許す・許さないが問題なのではなく、
苦しみから一時的に逃れるために許す道を選択してしまうことが、
あなたの心の傷をさらに深いものにしてしまうということです。
ノートに書き出すのは常に有効。
それと、半端でへっぴり腰の愛やゆるしに惑わされないように。
対決の心得
この対決の目的は親との和解や今後の関係について話し合うことではなく、毒親に対する正直な気持ちをぶつけ、
心の中にある毒親に対する恐怖を払拭するすることです。
仮にあなたの予想に反して毒親が謝罪してきたとしても、あなたの中にある怒りや憎しみを親にぶつけることをためらってはいけません。
なぜなら、親の謝罪が一時的なものである可能性が高いためです。
<中略>
「親だから」といって情けをかけることは、元の関係に戻る危険に直結することを忘れないでください。
<中略>
「毒親と闘うことを覚悟したら、相手は親でなく他人と思いなさい」
人間脳(理性)で闘いましょう。
正確には、(元)親でも他人。ですね。
彼らはわたしじゃない。わたしはわたしを生きる。
大事な注意事項
あなたは心のどこかで、毒親が非を認めて謝罪する被が来ることを期待していませんか。
しかし、それは諦めてください。その期待を抱いているかぎり、あなたは毒親に縛られ続けることになるだけです。
<中略>
心の痛みを感じる感受性を持つ人は、そもそも「毒親」などと呼ばれることはないのですから。
なんの本か忘れたが、本田健は父親に恨みつらみを述べて、無理やり謝罪させてた。
それを「和解」と言っていたが、
こんな勘違いするようでも、大成功できるんだなぁって、
希望と絶望が交じる複雑な読後感だった。
最後に(本当の)愛は勝つ
「愛を感じる心を育てることでしか、愛に触れることはできない」
ということでした。
毒親育ちの人の多くは、愛情を感じる心のセンサーが鈍ってしまっているため、愛情になかなか気づくことができません。
<中略>
「親の愛情には恵まれなかったけれど、自分には愛情を注いでくれる人がいる」
と、その人たちの愛情溢れる言葉を思い出し、心を奮い立たせました。
「愛情を知る」ということは、一見当たり前のことのように聞こえても、
毒親育ちの人にとってはとても難しいことです。
高校のときのボクを承認し、支援してくれた、恩師たち。
タダで放課後の時間を費やしてくれて、かつ属する組織より私に味方してくれた。
そうでない公務員もそりゃ居たけど、純粋な善意から勇気を貰った。
本当の意味で、見返りを求めない無償だった。
実は小学校のときも、救ってくれた先生はいたんだけど、
それほど感謝の念が今は湧かない。
カンニングを指摘したら、「カンニングの濡れ衣を着せられた過去がある」そうで、
オレに切れたけど、
どの部分がどうなのか照合しつつ、小学生がたどたどしく説明したら最後は、
「まあ、長い目で見れば実力は、」とか弁解始めた。
階段の掃除当番のとき、後から土足で歩かれて、
掃除したのに汚れたのだが、さぼったと決めつけられて信じてもらえなかった。
とか、マイナスの記憶ばかり残って、
恩人は恩人だけど、信用すべきかどうか、無償の善意のほうが高級な気がしてます。
ニセ理解者かな。味方とはちょっと違うか。
これ読んだとき、最後裏切る子供の味方ヅラする詩人が出てくるんだが、
それをニセ理解者って切り捨てる井上ひさしは人間通だと、舌を巻いたの思い出す。
インスタントな自己投影でない他者理解。
付き合いたい人とは光属性で接する。
かつて得られなくて、今もなおさら得難い現実を目にする。
馬鹿なオトナにぐるり囲まれてる気分。
久米宏さんのおかげで、
得たかったものを与える存在になろうと、気づくことができた。
令和になっていい時代。距離が取れてるお陰だとも思う。