最近観た2作品とも、ユーザーレビューやネットの批評を元に、内容を予想。
どちらも外した。
「エターナルズ」 中間管理職の悲哀みたいな話。
「サイコ・ゴアマン」特撮オタクなのにアクションに興味なし。
事前の期待を下回ると、どうしても満足度は下がる。
期待は感情の借金で、ユーザーレビューの分析を誤った私の問題かな。
分析の答え合わせを記します。ネタバレありでゆきます。
「エターナルズ」
荘厳で、雄大な物語を期待してましたが、その点は裏切られました。
(監督の投影でもある)ジェンマ・チャンの恋愛模様がメイン。
という噂が流れた時点で、
人間らしい矮小化したストーリーの可能性を加味すべきでした。
神
悪魔 天使
人
というフォーマットを外してくるとは、
先入観のバイアスに掛かってました。
悪魔役のディヴィアンズがただのモンスターで、
アクションの切られ役としてだけの存在意義。
特にそのリーダーのクロがあまり機能しないまま退場します。
地球滅亡したら、あんたらも滅亡なのだから、今はお呼びじゃないよ。
クライマックスでの登場はノイズです。
原作とも違い、
これならクロの存在を匂わせる程度の方がよい。出さなくてもいい。
神に反乱起こすのも天使であるエターナルズ側だし、
悪魔側の存在意義が希薄すぎる。更に、
コーチ役である天使としての倫理や価値観は人間と違う。という思い込み。
「2001年宇宙の旅」「平穏世代の韋駄天達」「プラチナエンド」
それは表現されないと、コーチ役として成立しないので、描かれて当然と思ってます。
”僕たちの目的は人類の繁栄だから、人間の倫理に介入する気はないよ”
くらいのセリフは、平然と言い放って欲しいところ。
視点も任務もゴールも違うので本来当然なのですが、
人間を超越するような視点は本作では、エターナルズ側に無いです。
エターナルズ側のキャラはまったく人間的でした。
そもそも、エターナルズ達は、有性生殖しないだろ?
性差も生殖行為もないはず。
人間の姿である必要があるから、外見があるだけで、
天使とか観音って、性差本来あるのか?
人間と恋に堕ちるのは構わんけど、
エターナルズ同士の恋愛は構造上無理じゃね?
って、原作からして不満なところでしたが、
より好ましくない方向に舵を切られてしまったよ。
ヒーローとしてでなく、人間的なキャラを描くという狙いは分かるのですが、
これだと、
支店立ち上げのために、本社から派遣されたプロジェクトチームの内輪もめに過ぎず、
荘厳な叙事詩には成らない。
ヱヴァンゲリヲンじゃねーんだから!! 矮小化すんなよ。
クロエジャオの映像で、雄大な歴史劇を期待してた私は、
まんまと裏切られました。
逆に予想通りだったのは、詰め込みすぎという批判に対して。
いきなり10人も出して最終決戦っぽい。
「エンドゲーム」と同様に交通整理は必要。
それは予想の範囲で、予告編観る限り、キャラの描き分けるは上手そう。
ユーザーレビュー見る限り、原作の予備知識無しで観た人は不満そう。
MCUはマーベルコミックのジャンル映画なので、
その前提を無視した批判は不当と判断してる。
コミック読む必要はないけど、
少コストで出来る予習すらしないで楽しめないのは怠惰。
MCUファンの解説動画で予備知識は充分でした。
セレスティアルズ、エターナルズ、ディヴヴィアンズ、それぞれの解説動画もあり。
予備知識ありの目で観ると、
キャラがちゃんと描く分けられていて、
多様性なポリコレも有効に機能してましたよ。現代的な009みたい。
その分、時系列が裁断され、叙事詩的な要素は削がれてますが、
過去エピソードは人物造形に効果的に利用されてました。
”本社から派遣されたプロジェクトチーム”のメンバー達としては、
ちゃんと魅力的なキャラとして、成立してました。
ちょっとネタバレしますが、
CEOたる神側が部下の信頼無くすようなマネジメントだったので、
メンバー達の葛藤はリアリティありました。反乱起きますよあれじゃ。
キャラの描き分けについては、
無視すべき批判は私、無視出来ていました。
クロエジャオの資質は活かされたのか?
映像と音響のクオリティが高いのは大前提として、
この点に関しては、事前情報を当てにせず、観てのお楽しみにしてました。
悠然として厳しい自然をメインに、人間の意志を静かに描く。
ロケを多用し、映像的に楽しめた部分は、期待を若干下回りました。
ゼロではないけど、もっと坦々と風景観たかったけど、
まあ、MCUなんだし、そこに期待しすぎるのはお門違いとわきまえてました。
もちろん、クロエジャオで退屈という批判は100%無視です。「ノマドランド」同様。
いや、実際は眠くなることもありましたけど。今回。
逆に、富樫ファンのアクション演出は予想外の喜び。
展開が素早くて、躍動感あるアクションは意外な資質ですね。
漫画ファンじゃないと見逃しちゃうかもしれません。
この映画で一番楽しめたのは、CGを織り交ぜたアクション。
アンジェリーナ・ジョリーは本作のためバレー習ったそうです。
各キャラの特徴活かした、切れ味よいアクションでした。
ジェンマ・チャンは美人か?
時代に逆らうこと書いてしまいます。前評判関係ないですが。
西洋人にとっての東アジア人の顔って、
美的基準が日本とはちょっと違う。
石原さとみ的美人の国では、ジェンマ・チャンは厳しい。
なので、彼女のラブストーリーでは共感出来ないかと予想してました。
大丈夫でした、むしろ等身大の人物でリアリティありました。
アンジェリーナ・ジョリーだと世界標準で美人ですが、
オーラありすぎで一般人との恋愛模様は共感できそうにない。
キャスティングは完璧だった。
結果的にはスクリーンで充分楽しめましたけど、
”荘厳な叙事詩”でなく、”職場の恋愛と悲喜こもごも+サスペンス” だったので、
観たいものは観れませんでした。
「サイコ・ゴアマン」
評判良く、ようやく観ました。
特撮グロナンセンスなB級クソ映画を期待してしまいます。
当然じゃないですか。
うーん、アクションが撮れないね。
ま、カナダにスーツアクターも殺陣師も居ないよね。
東映は偉大だな、
というか日本の低予算映画でも、アクションはもっとやる気出すでしょ。
一番の見せ場じゃん。
ギミックを出すだけで満足してて、アクションを魅せる演出力が育ってない。
ま、日本とは育ってきた環境が違うので、致し方ないですが、
井口昇監督基準で観ると、
グロ表現もアクションも物足りない。
ユーザーレビューで高評価のコメディ部分ですら、お行儀良すぎ。
食い足りない。
オタクなB級クソ映画のくせに、
なんで平均点目指すの? バランス取るの?
意味がわかんないよ。
井口監督はうんこ食うんだぜ。
なに常識人気取ってんだよ。
なんと言っても、対立構造描いて、決闘盛り上げるの下手過ぎ。
夫婦の危機はもっと最初から前フリしとくべきだし、
子供はどっちの親に付くのかも、関係性描いておくべき。
ストーリー自体がてきとーなのはよいけど、
クライマックスを盛り上げるためにヤルべきことはヤっとけよ。
ま、殺陣が出来ないので、最後の勝負もグダグダですね。
それじゃ、そこにカタルシスがないと娯楽として成立してないよ。
駄目なところを批判するレビューを見つけられなかったのは失敗でしたね。
”学芸会レベル”と酷評されるのは、この手のB級クソ映画では常なので、
軽視していました。
逆に ”嫌悪感抱かれるような批評” が無いことを、
懸念しなければいけませんでした。反省。
あと関係ないけど、
2作品とも、
リーダーの信頼の話でもあり、家族も組織ですから。
↓読んでみました。
いわゆる、倍返しや謀反と呼ばれるのがそれです。要求を通そうとする思いが高まるほど、いわゆるハードな戦略を選択するようになります。不満に思うことが繰り返されたり、提案書や改善案に対して十分な説明がないまま、いつまでも聞き届けられなかったり、明らかに不当な扱いを受けたときなどです。
サラリーマン生活の最後の腐ってた組織思い出します。
おかげで独立する決心が出来ました感謝してます。
組織崩壊にはフォーマットがあり、
映画でも、それに沿って展開されると説得力があります。
「エターナルズ」はここは完璧にクリア、
「サイコ・ゴアマン」唐突だけどちゃんとヤッてます。
組織に属する人には、3つのオプションがあると言ったのは、政治経済学者のハーシュマンです。
「離脱(組織のメンバーであることをやめること)」
「発言(組織のメンバーとして声をあげて、組織を改善に向かわせること)」、そして
「忠誠(組織への関わりの程度を強める
事態を適切に捉えられない上司は、組織が衰退に向かうようなことをするのです。
「黙殺(発言を無視する)」
「惰性(ルーティン・ワークをあてがう)」、そして
「排除(組織から追い出す)」
——管理職者層は、組織の衰退に直面したときにこれら3つの行動パターンを示します。
私の元親が、私にとって衰退する組織の上司だったのは置いておいても、
離脱と忠誠どちらもオプションとして、利己的でない発言をすること。
もうちょっと離脱を重視して、理性的な発言すればよかった。
そして、
フリーランスな働き方してからも、もっとスマートであれた。
虚しさは軽減出来たかもしれない。
今、働いてみてますが、離脱は常にオプションにあるので、
昔よりちょっとだけ進歩してます。