ゲロ吐きながら、買い増すのが相場! 名言ですね。
含み損膨れますが、私は元気です。
週の始まりは、外出して、スマフォも禁止とした。
都合よく、朝11時前から15時まで、暗闇に閉じ籠もれるよう予約。
壮観な映像に隙が無く、物語は展開も多く早く、理解には脳内セルフで史実の補足要。
途中休憩1回挟むとはいえ、4時間はキツイ。
情報処理の質量は膨大で、通常の3倍以上の消耗。
寄りでエントリーしたら、チャート観るの止めよう。
東京時間の場中にネットから操作できると、パニクって間違えそう。
我ながらナイスアイディアで、ぐったりと帰宅しました。
映画黄金期の名作を映画館で鑑賞できるのは貴重な体験でした。
しかし、227分は体力の限界への挑戦であり、心しておかねば。
歴史に無知のまま、この大作を堪能しようと試みるのは蛮勇。
(流石に、そんな人は居ないと思いますが)
イギリスの三枚舌外交が元凶で、パレスチナの紛争は今も続く、
その想像すら出来ないままでは、巨匠デビッド・リーンに歯が立たない。
背景の説明は、現代の手取り足取り補助輪付きほど親切ではない。
恐らく、当時の英国人の常識は前提としている。
映画館の設備での鑑賞の快感が、苦痛を上回る客である前提。
CG無しの実写、しかもフィルム。果てしない砂漠をスクリーンで眺め、
モーリス・ジャールの荘厳かつ繊細な音楽をゴージャスに聴く。
そこに魅力感じないなら、配信で充分。というか観ないでいい。
本来映画館で観なければ、価値は分からない作品。
途中トイレはやむなし。水分補給にも留意。鑑賞にも体力が要る。
大河ドラマを通しで観る覚悟。映画三幕ものでなく。
物語の構造が定型ではなく、エピソードを積み重ねて進む連続もの。
庵野秀明のウルトラマンや仮面ライダーと同様。
(個人的には、映画を定型でしか面白がれないのは、リテラシーが低いとは思う)
見る側が無防備で、通常との違いにアジャスト出来ないと、
退屈を感じて、長持ちしない。はず。
停止をクリックせず、次回を自動的に続ける、配信の感覚で歴史大河を観る。
まあ、楽しめないのみならず、
4時間閉じ込められて、さらに料金と労力が損失になるのは、二重に苦痛だもの。
他責で作品に文句言う前に避けたい。
むしろ「Flow」とかを私は奨める。(観てないけど)
映像も音楽も美しく、子供向けでありながら、
お花畑なままの人格に大人向け作品と、勘違いさせてくれる。
「ルックバック」同様に、怠惰な生き様を自分で勝手に肯定出来るし。
逆に、
与えられたものを素直に満足するだけでは、奴隷の自由だと、
社会不適合な人格に生まれてしまったら、
リアルな生きづらさを引き受けつつ、
生き延びるため、独自の鍛え方を覚悟するしかないな。
それはさておき、大まかな方針。
大体の史実は事前におさらいし、詳細への疑問は鑑賞後に確認。
体力の消耗を考慮し、緻密になり過ぎないよう注意する。
毀誉褒貶激しい主人公の概要を理解しておく。
老舗ハーシム家発のアラブ反乱に至るロレンスとイギリスの関与から、
オスマン帝国の滅亡まで。
更に、パレスチナ問題を引き起こすブリカス三枚舌外交を経て、
ファイサル王子のイラク王国成立まで。
ちなみに、
イラクはその後、
何度かのクーデターの末、バース党独裁の共和国となり、
サダム・フセインが実権を握る。
ヨルダンは、
ファイサルの兄アブドゥラ1世が王となり、世襲の王国は現在も続く。
中東戦争の結果、ヨルダン川西岸を放棄。
その地の支配は今も、イスラエルとパレスチナ自治政府の斑で紛争は終わらず。
現代までのリアリティの有無で、興味の持続は段違いだろう。
このくらいで良しとする。
いざ、覚悟を決めて、鑑賞。
上記の予習で充分、物語に置いてけぼりになることは無かった。
無知では厳しいとも思う。
映画としては、
映像や音響が凄いスケールなのは、映画館で観てもらうしかない。
ストーリーは、
必ず通過儀礼を経て、ロレンスが変容してゆく。その繰り返しで物語を運ぶ。
日本の少年マンガやアニメのロボットや魔法ものの源流の一つ。
ただ、人道的に苦悩する主人公はちょっと、無垢に描き過ぎだと思う。
日本では、
アムロ・レイで一旦の完成形を見るが、その後、
無垢だが、幼稚なだけで、”何でお前が主人公なの?”
と魅力無いキャラが、量産もされるが、
エレン・イェーガー登場で、その不満は払拭される。
通過儀礼による変容という聖書以来の定石は踏襲しつつ、
覚悟を”進撃”に、苦悩は”鎧”にと葛藤を描き分けるのは進化。
それはさておき、
偶像は、モーゼやキリストになぞらえ、聖なる指導者のアイコン。
血塗られ、最期は必ず悲劇で終わる。
定石通りかつ、隙の無い脚本。三谷幸喜が大河ドラマのお手本にしたのも納得。
分類で言えば、
当然、英雄譚の典型であるが、
相棒との道行きでもあり、組織のはみ出し者でもある。
要素の組み合わせが良き。
実写版で壊れる前、最後の映画評論家が解説するように、
映像の企みも凄い。やっぱ大作を連発する巨匠。
現代ではもう無理。ハリウッドの予算でもCGに頼ってしまう。
キャラについては、
主人公に噂されるセクシャリティや性癖は、匂わせ程度。
鑑賞中は意識するほどではなかった。
アラブ人と対比させている。
アーリアンな金髪碧眼で、
開祖マホメットでなく、キリストがモチーフの聖なる無垢。
新人ピーター・オトゥールの抜擢は、
実際の人物の性を匂わせつつ、”掃き溜めの鶴”な佇まいで、
偶像の見事な造形。
架空の相棒は、
エジプトのアラブ人オーマル・シャリフが演じる。
冒頭、誰が相棒になるか分からず、彼の登場のシーンは見事。
族長であり良き理解者で、卑に落ちることない高潔も体現し、
実に魅力的な人物に仕上がっていた。
さらに、相棒に対比させる、リアリストな族長は実存で、
アンソニー・クインが演じる。俗物でコミカルで情もある。
そんな役どころが十八番。
ああ彼はアングロ・サクソンでは無かったのですね。
実存と言えば、ファイサル役のアレックス・ギネスは本当に名優。
こんな立ち振舞の王だったのだろうと、実物を想像させる。
少なくとも東洋人の私には違和感なく、アラブ側の人物に説得力を持たせていた。
この成功は当然とも言えるが大きい。異民族をカルカチュアライズしていない。
歴史劇の風格を湛える。
もちろん、キリスト教側はバラエティ豊かに思惑を体現していた。
脳筋だったり、老練だったりする軍人、策士の顧問。
陽気でお調子者のアメリカ人。
大河はキャラが立って、通過儀礼のエピソードの連続で運ぶもの。
再確認させてくれる古典の大作、名作。
4時間はキツイが、今だと配信でないと成立しない。こういう物語は味わえない。
かつ映画館で観るべき風格はもう、Netflixでも無理かもしれない。
しかも、フィルムでCGI無しは不可能だし。
体力的に大変だったが、満足が勝って良かった。
以降は復習。
映画から派生し、史実も含め興味深かった点は、
・アラブの特性と苦悩
アラブは結局、近代的な立憲君主国には成れない。
遊牧民を取りまとめようとロレンスは終始苦慮するが、
部族同士の利害優先で会議はまとまらず。
そもそも、
民族やネイション・ステイトの概念は無い。
オスマンでも、イスラムの概念が優先のはず、
西欧のキリスト教徒、近代人とは違う。
・アメリカが邪魔くさい、無責任に焚き付ける
新聞記者による世論操作。 ロレンスの偶像化。
ユーラシアは疲弊し、アメリカがボロ儲けしそう。
美しい理想を語りながら、他地域の紛争で自国は有利に、
ウィルソン大統領以来の民主党政権の伝統か。
オバマとジャスミン革命やIS国、バイデンとウクライナを連想。
・イギリス側による美化は通常運転
物語の定石通りに、ロレンスは落ちた偶像となりエンドマーク。
逆に、三枚舌外交は描かれず、
イギリスとアラブどちらからも用済みという位置づけで終わる。
イギリス人監督による美化は否めない。
ただし、ロレンスの評価は一様でないと提示している。
で、鑑賞後に資料を当たる。史実との突合。
端的に解説してくれて、助かるレポート↓。しかも無料。
ロレンスの実像は?
実際にはキリスト教徒であるロレンスのアラブ人部隊における立場はあくまで「一目置かれる顧問役」であり、彼が直接にアラブの兵士に命令を下すことはなかった。有名なアカバ攻略戦においても、アラブ軍の公式な「攻略部隊司令官」はファイサルの側近の一人ナーシル・イブン・フセインであって、ロレンスではなかったのである。 これらに加えてもう一つ、一般にはあまり知られていない彼の任務は、アラビア半島におけるアラブ人の反乱から、フランスの影響力を排除することだった。
時系列を追うと、
「フセイン=マクマホン書簡」が決定的な岐路。
アラブ側のトルコへの不信が募り、ハーシム家の当主フセインが動く。
(ロレンス主導ではない)
これでイギリスの暗躍が始まる。
翌一九一五年二月三日に開始された、トルコ軍によるスエズ運河への総攻撃が失敗に終わると、トルコ政府と国内のアラブ人の関係は一挙に険悪化することになる。スエズへの攻撃部隊を指揮したトルコ軍の司令官アフメド・ジェマル・パシャが、軍事的敗北の責任を全てアラブ人の政治的指導者に押し付け、シリアやレバノン、パレスチナのアラブ人有力者を逮捕させてしまったからである。
-中略-
フセインがマクマホンに送付した書簡には、アラビア半島全域にアラブ民族の統一国家を創設する構想が綴られ、独立達成の曉にはイギリスに利権上の便宜を図ることを約束した上で、イギリス政府がこの独立構想を承認し、支援してくれるよう要請していた。
-中略-
トルコ軍の行軍計画は、ヒジャーズのメディナを経由してアラビア半島南部のイエメンを目指すことになっていたが、フセインはアラブ人の弾圧政策を進めるトルコ政府が、彼を大シャリーフの地位から引きずり落とすために出兵したのではないかと疑い、
-中略-
同地のアラブ人勢力はもはやオスマン帝国の指示には従わないと宣言して、トルコ支配からのアラブ人の離脱を通告した。
-中略-
フセインをリーダーとするアラビア半島西部のアラブ人勢力は、イギリスとの軍事的な同盟関係に入り、トルコを打倒する以外に彼らが生き残る道は断たれることとなった。
優秀な成績のオックスフォード卒の考古学者は、
フランス語もアラビア語も堪能で、アラブ人の文化や、
シナイ半島周辺の地理や交通網にも詳しく、
(映画でもモデルとされた顧問役)ホガース博士率いる諜報機関の構成員だった。
ホガース博士を中心とする英国人の特務機関が現地一帯の情報収集と分析作業に従事していたことから、ロレンスもこの「ホガース機関」の一員であった可能性はきわめて高いと考えられている。実際、彼はシナイ半島の測量作業に際して、現地のアラブ人や外国人労働者と接触し、半島の東の付け根に当たるトルコ領の重要な港湾都市アカバの様子や、トルコ領内でドイツ人技師が建設した道路と鉄道の情報など、シナイ半島の測量とは無関係な軍事情報を精力的に集めていた事実が判明している。
映画同様、陸軍でのはみ出し者であり、転籍で活躍の場を得る。
陸軍特有の堅苦しい空気に嫌気が差していたロレンスは、すぐにホガースのいるアラブ局への転属を願い出た。陸軍側は最初、この申し出を却下したが、それに反発したロレンスが部内で上官を公然と批判するなどのいらぬ揉め事を起こし始めると、彼の策略は功を奏して陸軍は彼を厄介払いせざるを得ない状況となり、同年十月にアラブ局への転属が認められた。それと同時に、ロレンスは十日間の休暇を下賜され、フセインとの面会に向かうストーズに同行して、ヒジャーズのジェッダへと向かうこととなった。
ロレンスがファイサルを担ぐ。
イギリスが全面的に支援を行うとすれば、誰をアラブ軍全体の指導者として担ぎ上げるべきかを判断するのが、アラブ局に移籍した彼の最初の仕事だった。 ロレンスの見立てでは、四人のうちで最もリーダーの資質を備えているのは、三男のファイサルだった。
-中略-
そこでロレンスは、ファイサルを「アラブ反乱軍」のリーダーに仕立て上げる構想を練り、この人物に資金と軍需物資を送るよう、カイロへと進言したのである。
ロレンスはゲリラ戦術に長けた”イギリス”の軍師。
ロレンスも、数度にわたってアラブ軍部隊による鉄道襲撃に同行したものの、この時期における彼の主な仕事は、戦線の後方で全般的な戦略構想を立案することだった。
だが、ロレンスの頭に描かれていたのは、イギリス軍にとって最も好都合な戦略を、アラブの軍勢にとらせるための方策だった。彼が重視していたのは、アラブ側の要望ではなく、あくまでイギリス側から見た利害損得だったのである。
ロレンスはリーダーではないが、アンソニー・クインの参戦とアカバ攻略など史実。
(映画の前半は、アカバ攻略の大戦果まで”上り”が描かれる)
トルコ当局のお尋ね者だったアウダは、ヒジャーズの北方でアラブ人の地方軍閥を率いるリーダーだったが、ファイサルとロレンスは彼とその部族の参戦を歓迎し、アウダの軍勢はすぐにアラブ軍へと編入された。アカバの背後に広がる砂漠地帯の地理に通暁したアウダの一派が加わったことで、アカバへの背後からの攻撃というロレンスの計画案は現実味を帯びるようになり、彼はまずアウダに、続いてファイサルに、アカバ攻略のプランを披露した。
ダマスカス攻略後、戦後処理において、
彼は出来る限りアラブに尽力した。
(映画後編は”下り”を描く、進軍中の大虐殺に苦悩し、戦後は用済み)
一九二一年三月十三日、まず英国支配下のイラクでファイサルが初代国王に認定され、次いで同年四月一日には、アブドゥッラーが東パレスチナに創設された英国支配下の新国家トランスヨルダンで首長(後に国王)の地位を獲得した。 この決定の背後には、時の植民相チャーチルと知遇のあったロレンスからの強い進言があったと伝えられている。それは、イギリスの同盟者としてトルコとの戦争に尽力してくれたアラブ人の戦友に対して、当時の彼が行いうる精一杯の返礼だった。
ついでに、オスマン帝国の滅亡を復習↓。
第一次大戦では末期の帝国が解体される。
オーストリア=ハンガリー帝国(以下オーストリアと表記)、ロシア帝国、そして今回の記事の主題となるオスマン帝国(以下トルコと表記)のうち、ロシア帝国は戦争の終結を待たずに一九一七年のロシア革命によって帝政を打倒され、残るオーストリア=ハンガリーとトルコはドイツ側の「同盟国」陣営を形成して共に戦った後、最終的には敗戦処理に伴う帝政廃止と国土の分割/縮小という厳しい運命をたどることとなった。
宿敵ロシアへの対抗も必要で、ドイツと組んだのが運の尽き。
イギリスと結ばんと! トルコが親日なのが分かる。
二〇世紀に入ってアラビア半島とその周辺で石油が発見されると、英独両国による争奪戦はますます激しさを増し、ドイツはトルコの皇帝(スルタン)アブドゥル・ハミド二世と手を結んでバグダッド鉄道の敷設権を獲得、一方のイギリスはロシアと同盟関係を結んでドイツのペルシャ湾方面への進出を食い止めようとした。
トルコと英仏露三国の関係は事実上の国交断絶状態となり、トルコ北東部では三日後の十一月一日にロシア軍の小部隊が国境を越えて、トルコ領内へと侵入した。その二日後の十一月三日、ロシアはトルコに宣戦布告し、十一月五日には英仏両国がこれに続いた。
ロレンスが活躍する戦場が用意される。
スエズ運河は、大英帝国にとっての生命線とも言えるほど戦略的に重要な海上輸送路であり、もしトルコ軍がこの運河を占領して、紅海経由で地中海とインドを結ぶルートをイギリスから奪い取ることができれば、ヨーロッパの戦況をドイツに有利な方向へ傾けられると考えられた。 こうした思惑の交錯により、トルコ陸軍が参戦後に行う最初の大規模な攻勢作戦は、トルコ政府が「優先順位第一位」と見なすコーカサス戦線ではなく、ドイツにとっての「優先順位第一位」であるシナイ半島の戦線で開始されることとなった。
トルコにはイスラムの大義無し、と見られてしまう。
トルコとドイツの両国政府は、先にスルタンがイスラム圏に向けて発信した「ジハード」の宣言に呼応して、エジプトの地元住民が加勢してくれるのではないかと期待していた。だが、いくら待ってもエジプト側にそうした動きは見られず、十二月十六日には逆に、イギリスがエジプトを保護領にするとの声明がロンドンで発表された。
アルメニアも離反。
第一次大戦当時、オスマン帝国には政治と軍事の実権を握るイスラム教徒(ムスリム)のトルコ(テュルク)人に加えて、同じムスリムのアラブ人とクルド人、そしてキリスト教徒のアルメニア人などが混在していたが、少数派のアルメニア人は十九世紀末頃からムスリムによる迫害の標的【*13】となっており、アルメニア人の中にはトルコ人支配層による「不当な抑圧」への不満や憤りを鬱積させている人間も少なからず存在した。 そして、同じキリスト教徒であるロシア側も、アルメニア人のそうした不満を対トルコ戦で利用しようと考え、ドイツとトルコがエジプトに対して行ったのと同様、アルメニアの現地住民がロシア軍の進撃に呼応して決起することを期待していたのである。
遂にイギリスにギブアップ。
この時期、帝政ロシアは崩壊し停戦、レーニン革命起こる。
九月十八日、エドムンド・アレンビー大将に率いられた英エジプト遠征軍は、アラブ反乱軍と連携しながらパレスチナで大攻勢を開始し(メギドの戦い)、十月一日にダマスカスを、十月二十六日に鉄道の要衝アレッポを占領すると、南部のトルコ軍は事実上崩壊した。同じ日、メソポタミア戦線では、攻勢を続けるマーシャル元帥指揮下のイギリス軍が、イラク北部の産油地キルクークを攻略した。 ダマスカス陥落から二週間後の十月十四日、トルコ政府は、このまま戦争を続けたのでは、首都コンスタンチノープルがイギリス軍とその同盟軍に占領されると危惧し、英仏両国と同盟関係にあるアメリカ政府に講和の申し出を伝達した。
三枚舌外交の果てに、現代に至る。
ロシアが革命によって同盟関係から離脱すると、イギリスとフランスの二国は有名な「サイクス=ピコ協定」【*18】によって中近東の勢力圏を確定し、その領域内でいくつかの国家を新たに独立させた。
それが、現在のシリアとイラク、レバノン、ヨルダンなどである。
また、パレスチナについては、同地を支配下に置くイギリス政府が、第一次大戦時の対トルコ戦争に協力したアラブ人勢力と、同地にユダヤ人国家を再興したいと考えるユダヤ人勢力(シオニスト)の両方に「戦後の独立」を約束
歴史は概ね理解したとして、まだ疑問が残った。
イスラムの理念はそもそも民族主義的ではない。はず。
イスラム共同体は、近代の国家観とはコンセプトから違う。
最後はオスマンの自業自得としても、
アラブはオスマン帝国で民族意識を如何に持っていたのだろう?
理解を深めよう。
読みづらい本↓だったが、大変示唆に富む内容。
(アラビア語読みで)ウスマーンはイスラムの継承者という認識から。
オスマン帝国がアラビア語を母語とするアラブ人を経由して、イスラム文明の多くの遺産を継承したことを示唆している。この国家は、「オスマン・トルコ」ではなく、ましてや「トルコ帝国」ではなかったのである。オスマン帝国は、預言者ムハンマド(五七〇頃─六三二)からその後継者の正統派カリフの時代(六三二─六六一)をへて、ウマイヤ朝(六六一─七五〇)とアッバース朝(七五〇─一二五八)に続くイスラムの王朝的系譜の正統的な継承者であった。
-中略-
カリフにしてスルタンになる人物が日常生活でどの言葉を話していたのか、について詮索するのはあまり意味がない。アラブ人とかトルコ人というような民族としてのアイデンティティが問題になるのは、コスモポリタンなイスラム国家としてのオスマン帝国が変質する近代以後のことである。そして、帝国の支配民族が自分のことを「トルコ人」として認識するのは、一九世紀もおしつまってからにすぎない。
砂漠の民がアラブとして一大勢力になり、更に拡大してゆく過程で、
大事なのは、イスラム共同体への帰属となった。
カリフの指導による「大征服」とともに、新しく服属した住民たちは、帝国の公用語たるアラビア語を自らの言語とすることによってアラブ化するようになった。
また、こうしたプロセスは、ムスリムとして信仰の共同体ウンマに帰属する意識によっても、さらに促進されたに違いない。こうした非アラブ人のアラブ化は、逆に本来のアラビア半島から勃興したアラブ人の民族意識を希薄にさせる結果をもたらすことになった。
-中略-
アラビア語を母語とするムスリムたちは、「特定の部族・村落・街区・教団その他の民衆組織への帰属意識を抱くだけで、いかなる民族に属するかということは問題にされる余地がなかった」(嶋田襄平)のである。
古えよりの民族の歴史よりも、イスラムかどうかが重要。
人びとはムスリムである限り、たとえ世界のいかなる地域に住んでいても、その精神的な祖先をアラビア半島と初期イスラムに求めるべきであった。古代のエジプト人やバビロニア人がいかに高度の文明を作りあげたにせよ、彼らが神の唯一性に真向から反する偶像を崇拝したという点において、エジプトやイラクのムスリムにとって血がつながる祖先は長いこと「よそ者」と見られてきた。
そして、オスマン帝国は広大なイスラム共同体だった。
イスラムを信奉した人びとのなかでも、オスマン帝国のトルコ人ほど過去と絶縁して、イスラム共同体にのめりこんでいった集団も少ない。彼らは、およそイスラム化以前に北アジアや中央アジアで生活した父祖たちの過去に郷愁を持たなかった。さればといって、トルコ人以外の人びとに格別の「人種的偏見」を抱くというわけでもなかった。
オスマンが近代に移行する際に、トルコに民族主義も起こると見る。
アラブ人はオスマン帝国の四世紀に及んだ「カリフの傘」とパクス・オットマニカ(オスマン帝国優位の世界秩序)のもとで平和を享受し、かなり広範囲にわたる自律性さえ認められていた。とくに西欧勢力から直接の侵略や植民地化を蒙らなかった点は、新大陸、サハラ以南のアフリカ、東南アジア、インドなどと比べてはるかに幸運だったかもしれない。オスマン帝国のアラブ人たちは、自分たちのことを「外国人の支配者に従属する民」とは考えなかったに違いない。彼らは、トルコ人のスルタンではあっても、カリフである限り、ムスリム共同体の首長と見なしていたからである。トルコ人とアラブ人との関係の悪化は、一九世紀最末期のアブデュルハミト二世の専制政治と青年トルコ党と通称される統一進歩団のパン・トルコ主義などの「トルコ人中心主義」から生じたと考えるべきだろう。
トルコ人たちが彼らよりも人口が多いアラブ人の民族性を変えるために、トルコ化を開始した意図は、その立憲体制の護持を図ることにあったとする。
そこから先は、既に学習したとおり、
帝国は解体され、分割されてゆくことになり、現代に至る。
部族と軍人の独立と、宗教改革、それに植民地による分割。
単純に、アラブの民族主義とは言い難い。独特の構造を分類してみる。
(かいつまんで引用)
イマーム首長一致型支配 これはイスラムの宗派的権威者イマームと、
政治を統べる首長が人格的にも一致して
統治する国家の特徴である。
イエメン、オマーン、
キレナイカ(リビア)などイマーム主張連合支配 サウジアラビアのように、
政治を統べる首長が著名なイスラム改革運動の
指導者と連合するか、同盟を結んで
部族の狭い枠を超える
支配の正統性を得るタイプである。非イマーム首長単独型支配 イスラムによる
いかなる権威づけも必要とせずに、
独立した首長や王家が
「非宗教的」な権威を行使するタイプ。
クウェート、カタール、バハレーン、
アラブ首長国連邦がこれにあたる。官僚軍人寡頭型支配 都市に駐屯した
オスマン軍司令官の自立に始まり、
官僚機構によるその補完を特徴とする。
アルジェリア、チュニジア、
トリポリタニア(リビア)、エジプト植民地委任統治型支配 英仏両国などの植民地主義の
利益維持の観点から、
オスマン帝国の解体を機に
つくられた国家的枠組。
イラク、シリア、ヨルダン
-中略-
現在のアラブ系の国々の多くが、歴史のなかに、それぞれが独立した国家として成立する根拠と正統性を求められる存在だということを軽視してはならないだろう。
現代に続く経緯が分かってスッキリしたところ、もう一つだけ。
民族自決を世界に広めたウィルソン大統領を擁するアメリカの動向が。
作中でも、
イギリスを無責任に煽っていて、結果的に自分だけボロ儲けしてそう。
バイアス掛かってそうだけど、他に見つからず採用↓。
端的にまとめない語り口なので、疲れますが結論は最初にあります。
理想を語りとにかく、それまでの秩序を崩壊させた。
ウィルソンがやったことを軽く並べてみましょう。
・大英帝国に喧嘩を売る。
→最終的に大英帝国の世界支配は崩壊。世界中の秩序が大混乱。・ついでにフランスに喧嘩を売る。
→イギリスと同じく世界中に植民地を持っていたので、秩序が大混乱。・さらについでに日本に喧嘩を売る。
→アジア太平洋を共産主義者に売り飛ばす結果に。・ドイツ帝国を破壊。
→戦間期大混乱の直接原因。結果、ヒトラーが登場。
ヒトラーはウィルソン主義の特に民族自決を忠実に実行。
その惨禍は説明不要。
・ハプスブルク帝国を八つ裂きに。
→バルカン紛争が激化。東欧北部にも飛び火。・オスマン・トルコ帝国を抹殺。
→バルカン、中東・北アフリカ、カスピ海の紛争を
誰も止められなくなる。・レーニンを生かす。
→スターリンや毛沢東の他、世界中に共産主義が撒き散らされる。
南北アメリカ大陸には誰にも手出しさせず。
他の地域では、
戦争は出来るだけ長引くように、双方消耗して、全員壊滅的に負けるように。
既存の社会秩序は破壊し、カオスな世界に成るように。
そして何故か、いつのまにかアメリカの資本一人勝ち。
更に、いずれ政権交代が起こり、共和党が犠牲払いつつ、力ずくで終わらせる。
ベトナムは失敗かもしれないが、概ね勝ちパターンが確立されている。
ウィルソン大統領は悪魔の理想主義者。それは否定しないけど、
狂信者ではなく、冷酷で強かな勝者かもしれないな。
必要な弾薬も開戦前の想定を超えてどんどん増え、各国で生産が追い付かなくなります。この物資不足を補ったのがアメリカからの輸出です。アメリカは、開戦からわずか半年あまりの間に膨大な貿易黒字を積み上げ、ヨーロッパ向けの輸出は鉄鋼を中心に大きく伸びました。一九一四年からの三年間で、増加率は三百%にもなります(前掲『現代アメリカ外交序説』)。口できれいごとを言いながら、死の商人として大儲けします。 ウィルソンは交戦当事国への資金貸付けは禁じたものの、貿易自体はむしろ振興しました。アメリカ企業が保有する商船の少なさによって、稼ぎが減ることを気にしていたぐらいです。当初は弾薬も含め、交戦国のドイツ、イギリス双方に輸出して荒稼ぎしました。
やっぱり、オバマでも、バイデンでも見たような気がする。
綺麗な理想を伝導しつつ、ユーラシアや北アフリカの国々は破滅してゆく。
その結果、何故かアメリカにプラス。ノーベル平和賞に相応しい。
アラビヤのロレンス登場の時代、イギリスは大戦の勝者に。なのに終わりの始まり。
紛争の種を撒きながら、アメリカの時代に成ってゆく。
映画のラストは、
用済みとなった英雄が母国に帰還。大英帝国の未来も暗示しているかのよう。
今なら、お花畑な結末に改変されてしまうかもしれない。
理想主義の名の下には、得する誰かが居ると愚考してしまう。
シンプルにピアノのみの演奏が一番好きです。
”清潔な”砂漠の空気といつ敵襲があるやも知れぬ緊張に、
時おり、オアシスのような優美な旋律が流れる。
オレンスが愛した景色が、よみがえるテーマ。
2025.04.09 23:00現在
昨年8月の植田ショックの谷で一旦止まる。
-2σの内側に入ったものの、バンドウォーク終了とは、まだ判断できない。
切り上がってはいない。長いヒゲが上下に伸びるばかり。
いつか、どこかで、20MAを抜ける陽線が出るとは期待しているが、
タイミングも値段も分からない。
それでも、買い玉切る気にならず、ゲロ吐きそうでも耐えてしまう。
とりあえず、日本時間の動きだけで判断することはしない。