昨年の公開は見逃した。
たぶん、他に観たい作品が有ったのだと思う。
それに、
なんか面倒くさそうな作風に見えて、食指動かず。
この度、
ミゲル・ゴメス特集のチャンスを早稲田松竹で得たので、
「ポルトガル映画には、物質的な現実と、映画がつくり出したパラレルワールド——つまりフィクションの世界との融合を繰り返し試みてきた伝統があります。」(2025.10.20 CINRA)と監督は言います。
アントニオ・レイス、マノエル・ド・オリヴェイラ、ペドロ・コスタなどのポルトガル人監督たちは、
ドキュメンタリーとフィクションの境界を揺り動かしてきました。
『自分に見合った顔』『私たちの好きな八月』を経てその手法をより確かなものへと昇華させた『グランドツアー』は、
ミゲル・ゴメス監督自身の一つの答えなのではないでしょうか。
折角だから、制作順に三作品を鑑賞することにしました。
特に、予習の材料も無く。
《 開演 》
”鬼才”というよりは、異能。
”映像の魔術師”と呼ばれるべき候補は、他に沢山居て、
ラテン系でマジック・リアリズムに近いだけで、
それは彼じゃない。
映像で鬼才の発揮なら、先日観た鈴木清順↓の方が、
よっぽど、その二つ名が似合います。
ミゲル・ゴメス、
唯一無二の特徴は、
モキュメンタリーとも違う、クラッシャーな作劇、
映画の文法に囚われない自由、
それでも作品にしてしまう力技、
破調の異能。
尾崎放哉や種田山頭火のような自由律を思い出します。
5・7・5に囚われない破調で、
定型を敢えて壊しても、それで一遍に纏める力。
これが俳句かと言われると微妙でも、
俳句でなければ出来ない表現。
偶然なのか、計算なのか、わかんない。
着地は自分で決めなければならず、
いずれにせよ凡人には作れない。作ろうと思わない。
それに、
酷評はご尤も。仰る通り。私も同意同感。
それでも、
他の監督では味わえない、唯一無二を楽しむ見方は、存在する。
そこにフォーカスを当てつつ、ミゲル・ゴメス作品の紹介を兼ねて。
1.「自分に見合った顔」(2004年)初見は無理
1.1.会話にならない
1.2.映像はそれほど
1.3.退屈で眠い。寸断されて入れない
1.4.分からないまま終わる
2.「私たちが好きな八月」(2008年)程々に慣れる
2.1.ドキュメンタリーとマジック・リアリズム、作品と創作活動
2.2.ヤれば出来るのに、敢えてメタも入れる終劇(ややネタバレ)
2.1.やっぱ、音楽は素晴らしい
2.2.序盤の意味(ややネタバレ)
2.3.意図的な不快。調和を破壊
3.「グランドツアー」(2024年)身構えて観る
3.1.正直な感想
3.2.DJのサンプリングだよ(ちょっとネタバレ)
3.3.笑い声について
3.4.正解は必要か
あ、
予めことわりを。
わざわざヘンテコリンな映画体験をしたいという欲求が無いなら、
普通に評判の良い映画を観るべきと思われ、
逆に、
わざわざミニシアターでのみ掛かるような映画を観に行って、
一般の価値観で批判するのは、
無意味な当たり屋の所業。
今観るなら、例えば。。
メロドラマなら確実な三木監督、
娯楽大作なら、評価も高いハリウッド久々のハードSF、
じんわり良作で感動したいなら。
とか、
封切りをチョイスするが正解と思われ。(未鑑賞でゴメン)
このチャンスは逃せないと思う好事家にのみ、
オススメのミゲル・ゴメス。
1.「自分に見合った顔」(2004年)初見は無理
同じく、早稲田松竹によると、
ミゲル・ゴメスの長編デビュー作『自分に見合った顔』の主人公は、
29歳のまるで子供のような未熟な音楽教師・フランシスコ。
彼は生徒の子どもたちよりも一番幼稚に見え、
見ているこちらもイライラするほどです。
そんなフランシスコは30歳の誕生日を迎えすぐに麻疹にかかります。
病に伏した彼は、家で7人の男たちに看病されるという寓話的な世界に導かれます。
7人の男たちは奔放、臆病、癇癪など、
フランシスコの幼さを象徴するような異なる性格で、
同じクラスならぶつかり合うでしょう。
寝込んでいる彼をよそに、
男たちは決められたルールの中で、上手いこと共同生活をしていました。
ある時、「夕飯は皆で一緒に食べる」というルールが破られてしまい7人の生活は一変します。
フランシスコが夢から覚めるとき、
彼は物語冒頭の言葉を理解するのかもしれません。
「30歳までの顔は神に与えられたもの。 30歳を過ぎたら人は自分に見合った顔になる」
ふと、私もなんとなく30代を迎えてから、
周りの社会と折り合いをつけていわゆる“大人”になったと思い返しました。
いや、ぜんぜん分かりません。
恐らくは、
白雪姫 ”鏡よ鏡” から着想を得て、
「インサイド・ヘッド」を七人の小人に擬える。
脳内の七人の生活を寓話で描き、
それは、大人の自立への階段登るプロセスを表す。
という意匠なのかもしれません。
が、
1.1.会話にならない
字幕のせいか、会話が成立してるように見えない。
それで、意思疎通出来てんのか?
そうはならんやろ、何で?
ルールが分からん! 共通認識を先に提示してくれ。
疑問で埋め尽くされるまま、時間が過ぎて、
興味が続かず寝落ちしたりしてたら、、
え、これで終わり!
全く着いてゆけませんでした。
1.2.映像はそれほど
衣装やセットは凝っているものの、
映像はさほど感心しませんでした。
映画的画作りで魅せる訳でもなく、
”映像の魔術師” は盛り過ぎ。
このポルトガル人の才能は、
映像の演出ではなく、
作劇の自由な精神。
だと、確信しました。
1.3.退屈で眠い。寸断されて入れない
会話は特にですが。
ストーリーが何度も急ハンドルを切ります。
観る方が疲れるだけだから、
ちゃんと、ひとつづつ、整理して、
お話に決着つけろよぉ。
イライラより前に、関心が保たず、寝落ち。
起きていても、これは展開の意味が分からない。
それも、
意図的に、分からなくなるようにヤッてる。
道中の迷子は、この異能、得意のモチーフだな。
まっすぐな道では、さみしい。のか?
ラテンの何処かに、
マジック・リアリズムの源流が有るのだろうけど、
とにかく、
脈絡を切り刻まれるので、
眠い、
不快、
物語に入れない。
普段は過剰な説明が嫌いで、
受け手の解釈の余地を残せよ。アートなら、
余計な介入は無粋。
その下手クソな説明は不自然過ぎて無理。
との立場を採る私でも。。
ダメでした。敗北。
1.4.分からないまま終わる
いやー、キビしい。
これは無理だと眺めていると、
え、そこで終わんのかい。
投げっぱなしにも、ほどがある。
分かんないものを観た。
監督は、やりたい事ヤリきったのだろうけど、
これ意味を読み解いて、評価した人凄えよ。
誰かに最初、補助線引いてもらわないと無理ゲー。
既に存在する正解”なぜ” を発見する行為=”考察”には向かない作品過ぎる。
こんなの今の日本で、評価されて、たまるか。
という内容で、
ヨーロッパの懐の深さを感じさせます。
いや、ムリッス。
2.「私たちが好きな八月」(2008年)程々に慣れる
あ、慣れたか、無理じゃないかも。。
不思議なことに、終わってみれば、あっという間。
これは、初見でも、やりたい事が分かった。
舞台は、ポルトガルの避暑地。結構な山間の田舎。
軽井沢か、いや嬬恋村くらい。
8月はイベントも多く、バカンスの観光客も訪れ、賑わいを見せる。
スペインよりフランスの方が隣国として身近な模様。
村の夏祭りが描かれるドキュメンタリー。
かと思いきや、ところどころ映画制作のゴタゴタがインサート。
どうやら、その上、
インタビューと、本人に演じさせる再現ドラマを組み合わせている。
画作りが凄いというより、
こういうドキュメンタリータッチの粗い画質の方が、
監督の資質が活きる気がした。
と思っていると、
作り物らしきパートが始まる。
そういう、、ことなのか?
2.1.ドキュメンタリーとマジック・リアリズム、作品と創作活動
イーストウッドの↓とか、
それこそ、クロエ・ジャオ↓とか、
本人に本人役を演らせてるのか。
それらとも違うのは、
映画制作のメタ構造↓も、シュール気味に入れて、
4象限の領域を行き来きしようとしている。
現実
成果物 ← ↕ → 制作過程
虚構
直近に観た動画と手法は似てる。
フェイクを混ぜることで、リアルを引き出し、
舞台裏を見せることで、ドラマを作り、
表の分は別に、ちゃんと用意しておく。
が、
滑らかでなく、ゴツゴツ。より不器用な映画。
如才なくやると、造り物クサくなるから、
敢えて下手なのか。
ドキュメンタリーは、本来内在する物語を取り出す行為に見えて、
ミケランジェロのような精密さでなく、
むしろ円空仏の様な素朴。
どこまで、意図的なんだろうか?
早稲田松竹曰く、ホントに予算ショートしたらしい。
監督自身にとって映画制作のターニングポイントとなったのではないでしょうか。
本作の撮影が始まる直前に、
ゴメス撮影クルーは「資金難」により予定していた脚本での撮影ができませんでした。
そんな逆境の中でカメラを回し続けて出来上がった作品です。
ポルトガルの山間の田舎町で野外コンサートが行われています。
そこにカメラが飛び込む形で撮影はスタートします。
撮影クルー側のシーンも折り込まれ、
リアルとフィクションのドラマがシームレスに音楽にのせて紡ぎだされます。
そんな作品に映し出される世界は、とても瑞々しい幻惑的な世界です。
私は思いました。夏休みに山間の音楽フェスに行くようなワクワク感だと。
祭りが始まれば音楽とお酒に酔いながら、
人と語り合い、心が動かされる愛おしい時間が待っています。
これはお祭りにただ身を任せれば、参加した皆が感じる時間なのではないでしょうか。
本作もそんな魅力を孕みながら、物語を未整理のまま終わりを迎えます。
その余韻は夏祭りの終わりのようです。
監督はこの逆境の撮影の中で、
即興的映画作りへの手応えを感じたに違いありません。
中盤以降、真面目にメロドラマ始めるのは、(後述)
計算じゃないのか?
ホントは、それの起承転結ヤるつもりだったのかな。
結果的に、虚実の移動だけでなく、
メタ構造まで差し込む造りに成ったのか。
ピンチはチャンスで、独自の異能力が開花した。
その過程自体を愛でるのが、
この作品の醍醐味。
2.2.ヤれば出来るのに、敢えてメタも入れる終劇(ややネタバレ)
ドキュメンタリーのバンドメンバーが、再度出てきて、
メロドラマ始める。
と、
途中で漸く気付く。
いくら再現とはいえ、素人さん達じゃ、そこまでは演らん。
プロの俳優さん使ってるの?
やれば出来るじゃん、
ポルトガル歌謡でラップバトルとか、見どころも有り。
定石通り”避暑地の出来事”として成立。
世間の評では、
メロドラマパートは楽しめたが、
前半のドキュメンタリーが長くて退屈。
という意見が多数派っぽいが。
それはそれで、主張は正当なのだけれど、
勿体無い。
ミゲル・ゴメスという異能を愛でるのでなければ、
それなら、最初から他を選ぶべきでしょ。(前出)
もっと普通の造りの良作は幾らでも有るよ。
ポルトガルの避暑地の田舎の繁忙期の様子は、
充分興味深く、
純粋にドキュメンタリーとして楽しみました。
あ、あの人また出て来たと、再現ドラマにのんびり浸ってました。
私は退屈しなかった。
現実に基づいた(と想像される)、各々エピソードを並べて、
最後に、
お、メロドラマは真面目にやるんだ。
とちょっと驚いた。
その上、前作と違い眠らなかった要因は、
何と言っても、
2.1.やっぱ、音楽は素晴らしい
イベントの様子が微笑ましく、耳に届く。
現地のバンドが、ポルトガル歌謡(だと思う)を演奏。
ラテンなのは間違いないのだが、
ファドほど伝統的でなくポピュラーで親しみ易い音楽。
そもそも、日本人にも馴染む歌謡。
背格好も似たりよったり。
風景と村の営みと音楽が調和して、
それはそれで趣深い。けれど。
やっぱり、変な構成。
2.2.序盤の意味(ややネタバレ)
ああ、公式にyoutubeで観られるのか。
冒頭、
①鶏と狐 これは本編に関係無い
②場内アナウンス わざわざ何度も曲を中断させる
何やってんだか、というシーンから始まる。
①鶏と狐
フェンス越しに狐が鶏の群れを狙う。
それは無理やろ と彷徨く狐を観てると、
電光石火、抜け穴を見つけ、鶏に襲いかかる。
この映像が、
ドキュメンタリーとして偶然撮れたのか、
台本通りの映像なのか、
判断は出来ないが、
再現ドラマだと思って、のんびり観てると、
急にメロドラマおっぱじめる感じとシンクロ。
②場内アナウンス わざわざ何度も曲を中断させる
曲の途中に、五月雨式に何度も、アナウンスを挟む。
不快。
一度で決めろよ。ダラダラすんなよ。
イライラするけど、
本編でも、メタ構造を示すシーンが突然、何度かインサートされる。
この異能は、
どういう造りの作品なのか、最初にプレゼンしない。
グダグダ、とっ散らかった展開は、
観客が自ら、物語を再編集、再構築しないと、迷子になる。
どうやら、
そういう事を意図的にヤッてるよ。
って、宣言だと解釈しました。
この冒頭が、プレゼンの代わりとは、あまりに不親切だけど、
ま、分かり易けりゃ、面白いってもんでもないか。
やむを得ない。
これで、1本の映画にしてしまう変態を楽しむ映画なのだもの。
2.3.意図的な不快。調和を破壊
カメラの前をクルーが横切るとか、
不快な真似をワザとヤる確信犯。
調和的、心地よさを拒絶している。
繋がりは徹底的に裁断する。
ツギハギで、
リアルと虚構、
過程とアウトプットを、
行ったり来たり織り込む。
ラストも、
実際に起こったであろうトラブルの再現で終わる。
山間では、歌声がこだましても不思議ではない。(ネタバレ)
メロドラマの感情を余韻にせず、
奇妙なタペストリーを見せられたと、
客をマジックな作劇に引き戻して終わる。
何も、そんなマトモな映画を観に来た訳じゃないだろ。
と言わんばかり。
今の日本で、カンヌでも取らなきゃ観ること叶わない作品。
と鑑賞し、
最新作の備えとす。
3.「グランドツアー」(2024年)身構えて観る
世間では、なかなかの低評価。酷評の部類ですね。
どっちかでしょうね。
アート過ぎて、物語がホントにつまらない。
or
”正解”が必要な人には分からない作劇。
まあ、
カンヌ監督賞という評価まで受けてて、
政治的理由とは考えづらい内容なので、
後者の可能性高そうだけど。
兎にも角にも、
過去作鑑賞済、準備万端で、本作にトライ。
《 開演 》
3.1.正直な感想
え、普通に面白いじゃん。
白川郷と四川省は訪ねたこと無いけれど、
それ以外は、懐かしい都市ばかり。
風景を眺めているだけで、楽しくなってしまうので、
もう公平な評価は出来ないのかも。
終始楽しかったですよ。
分かんないときは、素直に分かんないものを観ましたで、問題無し。
わざわざ小難しいこと言う作品じゃない。
そして、
ポリコレは一生やっててよ、与したくない。
難しいアート映画とは違い、
実験精神に富んだ、サービス精神旺盛な、むしろ娯楽作。
縦糸に追いかけっこの大旅行、ただし弱いストーリーライン。
横糸に、各都市の風景を、めくるめく重ねてゆく。
多分、映像ではモンタージュという手法だと思うけど、
手法は、ジャ・ジャンクーに近い。
物語に合わせて、沢山の素材から選んで、繋ぐDJ。
やってることは、サンプリング。
DJのセンスを楽しめばいいだけ。
3.2.DJのサンプリングだよ(ちょっとネタバレ)
各都市の素材は、
この映画用に撮影された以外にも有るかな。
今、軍政下のミャンマーで撮影許可下りないだろうし。
2024年より古い映像使われてるはず。
ポルトガルの役者さん達は全部セットで撮影ですね。
予算潤沢で良かったね。かつ報われて。
個人的には、
役者さんのドラマパートは、
もっと減らしてくれても構わない。
映像も言語も、都市ごとに、キュキュっと入れ替わる。
ターンテーブル上の円盤みたい。
次いでに、記憶のページもめくれる。
ヤンゴンからマンダレーは夜行バスで移動した。
確かに、
鉄道にも乗ったけど、よく揺れてスリル満点だった。
メーソットの国境は何度か行き来したけど、
国境越える鉄道なんて、かつて在ったのかな?
チャオプラヤ川のほとりの王宮の近く。
カオサンからヤワラーへは、船が一番速かったね。
今はホーチミンにも地下鉄通ったらしいから、
バイクまみれのロータリーも大分変わったと思うよ。
空気悪くて、副鼻腔炎になった。
そりゃ、ヒロインも病気になるわな。
新年のカウントダウンの花火は、宿の屋上で眺めたな。
当時より、摩天楼だ。
マニラでジプニーに乗ったね。
でも、夜の裏道は無理っす。
そういえば上海じゃ、ボッタクられてね。
WIFI使えなくなってから、行かないけど。
まあ、転々と旅してると、
スパイに間違えられることもあるよね。
主人公は、本当にスパイだったのかもしれないよ。
「アラビアのロレンス」だって、最初は考古学者という身分だった。
パキスタンタリバンをインドが支援してるって噂だったな。
ヒロインは、メコンデルタ遡上するの?
海路じゃなく、河なの?
ラオスの方から、雲南、それから四川を目指すの?
もうちょっと、その道行は丁寧に観たかったな。
ドラマパート削ってよ。
そういえば、
チェンコーンからルアンパバーンまで河を下った。
2日掛かりだったけど、今は上流にダム出来てどうなのだろう。
なんて、思い出しながら、
ノリのよいDJっぷり堪能しましたよ。監督。
相変わらず、”映像の魔術師”だとは思わないけど、
リズムに優れている。
ま、不快も、毎度ヤるんだけれど。
3.3.笑い声について
あれは、ブーイングだよね。笑いに見せ掛けた。
笑いは攻撃。
本来、不快な感情なんだよ。
拒絶や怒り、その一次感情である悲しみも表している。
前作メロドラマのラストでも、
笑いで悲しみを表現してた。
喜怒哀楽を単純化しないように、作為を施してるのか。
ただ、
”笑い方が不快”と額面通りは、どうかなぁ。
いや、不快なんだけどさ。
ワザとヤッてる事には、何か意味が有る。
「ワンピース」の泣き顔みたいに、
分かり易く表現しないと伝わらないか。
うーん。
そういう人に相応しい娯楽映画、他に有ると思うよ。
確かに私も、
正解が予め用意されていると、
戦後教育の洗脳たっぷり受けて、
育った。
その後遺症もいまだ残ってるだろう、
いろいろオートマチックな反応してるだろうけど、
それにしても、あんまりだァ。
私は懐かしさが勝ってしまって、
公平に本作を評価出来てないかもしれない。
が、
手取り足取り補助輪付きで、
説明して貰わないとダメなのか。。
3.4.正解は必要か
ストーリーは類型的で、弱い。
それはそれで、いいじゃんドーデモ。
マジカルなツアーを2周。そのための導線で充分だよ。
自分の頭使って、
勝手に解釈して、勝手に楽しめばいいのに。
正解を与えて貰わないと気が済まないのは、
過保護に育ち過ぎじゃないのかな。流石に。
主人公の”今の気持ち”を4択で当てるワイドショーのような、
思想教育受けちゃったけどさ。
正解も多数決で決めろよって、思ったけどさ。
そうはならんやろ。
自由な作劇は、自由に鑑賞するもので、
日本で謳歌出来る自由の範疇で、禁じられていないはず。
本作の評判を読んで、
日本人の80%は考察は出来ても、クリティークは無理。
って、岡田斗司夫に納得してしまう。
弱い主旋律は、そのままでいいよ、
サンプリングを順々に楽しむのが肝だから。
正解=堅固な物語 でなければ、作品を楽しめないなら、
カンヌ監督賞なんて、観ようと思わなきゃいいのに。
正解を提示してくれない表現なんて幾らでも。
大人は説明しない。
生まれた時は宿命でも、
30過ぎたら、人は相応しい顔になる。
ちょっと背伸びしてみる作品に、
頭柔らかい内に触れとかないと、
こういう野心的な冒険には向かない。
逆に、
仲間を募って、安心安全な予定調和な航海も有るのだし、
それはそれで生きやすい。かとも思う。
2026.03.25 06:00現在
戦局次第で、ものすごい乱高下。
まだ、バンドウォーク途中にも見える。
こんなときは、テクニカルは意味無いけれど。
一旦、
専門の範囲内で発言する専門家を、
信じることにしてる。
