虚構の中の嘘と真実「鳩の撃退法」 意欲作なのでもっとヒットして欲しい。ヒットするための仕掛けだし。

閃光のハサウェイ」にモヤッとし、「鳩の撃退法」でスッキリ。
その差は、虚構の中での嘘のつき方でした。
そういえば、「クレヨンしんちゃん」も納得ゆかないのはそこ。
一見さん相手でも、気持ちよく騙してほしい。
テロでもエリートでも、主題の描き方で違和感感じてしまうと乗れない。
 
そこでモヤモヤして連投。
「鳩の撃退法」は意欲作で驚きました。
メジャー系なのに、こんなことやるんだ。観る人を選びかねない。
 
  
いやー、予告編で「デスノート」を期待すると裏切られる。
予告詐欺とのそしりも逃れられない。
ああ、そういう話なんだと、裏切られたことに気づいた瞬間、
その驚きが面白いかどうか。
 
確かに、藤原竜也はいつもの藤原竜也で、
本作では、冒頭の佐藤正午の小説らしい大仰な長台詞から始まり、
藤原竜也のフィクショナルな存在感がなければ成立しない。
ただし、
デスノート的なファンタジーでも、頭脳戦でもない。
観てて頭は使うけど、そういうスッキリとは違う。
 
ジャイロボールとかチェンジアップのように、奥行きを使った変化球なので、
拍子抜けして、受け付けない人もいるだろう。
抽象度の操作が謎解きの中心にある。 
 
 
原作はこれから読みますが、



などが面白かった。という経験あれば、映画も面白がれる。はず。
そういう面白がり方を拒否すると、楽しめない。
 
どうやら9/5現在では、

小説世界に引きずり込む。 
と、中身の面白さを直球で流すCMに変わったようです。
 
 絶妙なキャスティングの成功。
 演技合戦もたっぷり。
 富山の美しい景色と空気。
 トリッキーで映画らしい映像。
 KIRINJI兄のオシャレな音楽。
 
もあっての本作ですが、なんといっても、
お話と謎が命。
 
タカハタ秀太監督の記事↓読んで、なるほど、やっぱり。
脚本開発で2年、50回は書き直した

正式に映画化にゴーサインが出て、映画会社からも250館以上で公開したいので、エンターテインメントの要素を盛り込んで欲しいというリクエストも監督のもとに届いた。
「エンタメの要素ということで、カーアクションとかも考えたのですが、それだと原作から離れすぎてしまう。1回ベースとなっていた脚本を無しにして、新しい発想でつくってもらおうと、他の脚本家の人にも入ってもらいました」
共同脚本としてクレジットされている藤井清美が加わり、新たなシーンも追加され、なんとかいけるのではないかとタカハタ監督も自信を持ったという。

OKが出るまでに、そうとう練り込まないと、この完成度にはならんだろうな。
そして、 
エンディングにエンタメ要素盛りすぎると、お話全体が死んじゃう。
あのバランスだからこその、余韻を楽しむ。そういうタイプの映画。
 
 
固定客が見込めるシリーズものに挟まれて(細田作品除く)、
こういう試みもヒットして欲しいです。
 
 
 
で、
映画より曲者な原作を読むことにしました。

とにかく、長げー。冗長。
上巻を読了しての第一感です。
 
 セリフはキツイです。
  現実離れした藤原竜也だからこそ、リアリティ感じさせますが、
  活字で追うと、とっとと要件言えよと、イラっとしますね。
  あの頁数で延々とやられては、萎えます。
 
 どうでもいい描写も、途中から飽きます。
  最初は、ストーリーにあまり関係ない細かい描写に感心します。
  途中から、え、ずっとその調子でゆくの? と気付くと、
  もうちょっと手短に、わかり易くやってくんないか。
 
冗長なセリフと描写が、主人公津田の語りが、ずっと展開されます。
 津田が関与してない場面はもうちょっと簡潔に進行しないかな。
 時系列が入り組むのは、津田が小説書き直してるからと説明しちゃうとか。
退屈しないように、目先を変えて欲しかった。ちょっと苦痛。
 
 
先に映画を観ていたので、
 ああ今描かれているのは、あのシーンか。
と思い出しながら、読み進めることになります。
知らない昔には戻れないので、それはやむを得ず。
忠実に映像化されていて、かつ演技のレベルが高かったよな。
 藤原竜也がファンタジー要素を引き受けて、
 他の役者さんは適切なリアリティラインの存在。 
それを再確認しました。
映画の尺に修めるため、適切な引き算してるの分かります。
また、
雪の降る地方都市を、監督出身地の富山に特定したのは、 
ファインプレーだと分かる。  
 
 
私は映画から入らなければ、途中で読むの止めてたかもしれません。
大した内容ないのに、もったいぶるヤツ嫌いで。
結論から言ってくれよ。
 
と多少不快に読んでる途中で、
あまりメタ的な遊びはしないんだな。と予想を修正しました。
連想したのは、

「デッドプール」でも手塚治虫の漫画でも、グルーチョ・マルクスでも、
語り手が読者に向けて語りかける。
落語なんかでも、そういうのあるよね。伊集院光が好きそうな。
ああ、そんな話芸を小説でやろうとしてるんだな。
いくらなんでも長いけど、と私は上巻の段階で解釈しました。
 
映画を前提に、先の展開予想してしまうので、

のような仕掛けだろう。と身構えて読む。
 妄想の中の松岡茉優の日常が先に描かれ、
 現実の日常が後で、ネタバレ的に暴露される。
勝手にふるえてろ」の技法は、
信頼できない語り手“というやつですが、
メタ構造で遊ぶというよりは、どうもこっちに近いかな。
 
さらに「鳩の撃退法」では、妄想=小説内小説 が映像で提示され、
現実に関しては、明確な正解は示さないだろう。原作でも。
という予測を得ました。
 
   
映画を先に観てしまったため、
小説の先が気にならないという弊害を抱えてしまった。
先に原作を読む方が正解だろうな。
ただ、それを割り引いても、
 こんなに冗長でなくても。
 普通の会話じゃダメなのか。
私は気になってキツかったです。
 
 
概ね、映画と同じ展開、下巻では東京のバーが中心になるか、
物語をどう料理し、着地するのか、
これから下巻読みます。

若干ネタバレします。考察も少しやります。
 
 
 下巻でようやく、床屋まえだ登場。
 トヨエツとリリーフランキーの緊迫したシーン。
 (スクリーンで観てよかった。ヒリヒリする。)
 からの、スナック行ったり、ヤバいお姐さんに手を出したり、
 ようやく東京編がスタート。
 
 そして、
  倉田と秀吉がスナックで合流し、
   鳩が逃げたこと、
   秀吉と妻の関係が決定的に決裂しこと、
  トヨエツに風間君が感情を吐露する。
 このシーンが再度、小説家の手によって描かれ、
 このあたりから、小説家はペースを上げてます。
 初見の読者は物語の先が気になりますから、
 おしゃべりばかりでは、読者がイライラしてしまう。
 
 東京での編集者鳥飼との会話で、
 地方都市(富山)のこれまでの出来事は、小説内小説と明示される。
  佐藤正午は小説家津田を主役に「鳩の撃退法」という小説を書き、
   小説家津田は、富山の経験を題材に小説を執筆中。
    執筆中の小説内に、津田も登場する。
 小説「鳩の撃退法」の語り手は津田。
 小説「鳩の撃退法」の中では、津田の現実と、小説内小説の区別はあいまい。

 
 「ジョーカー」の謎解きに近いか、
 劇中、どこまでが現実で、どこから虚構か、
 考察好きによく考察されてました。
 ま、
 考察は作り手のさじ加減一つなので、もともと興味はあまりないのですが、
 どんだけ上手に騙してくれるか、心地よく映画館後に出来るか、
 それは語り手の技術。落語的な芸。
 
 小説も、ようやく佳境に突入。期待しつつ読み進める。
 
 
 
 読了。
 ラストは、原作と映画で違うとも言えますが、大同小異。
 むしろ映画は良い処理をして、余韻を残すことに成功したと見ます。
  
 結局、佐藤正午の話芸にハマれるかどうかが全てで、
 先に映画を観ていると、そのネタバレに興味が持続しないかもしれない。
 
 脚本50回書き直しただけのことはあり、
 映画という尺の中で、削ぎ落とし、若干の補強。
 この小説の面白さの根幹を失わずに、
 整理し、映画として観易くする工夫が成功してる。

 そう、
 カーアクションの見せ場作ろうとして、寸止めとか。
 それがクライマックスなら、そういう映画をはじめから撮ればいい。
 「鳩の撃退法」の面白さを中心に据えたまま、よき着地。
 
 原作のテイストは、
 
 にも似てるかな、群像劇として。
 「ストレンジャー・ザン・パラダイス」っぽくもあるか、
 語り手の芸を楽しめるかどうか、私は脱落もやむなしと思いました。
 
 これをあの尺で、出し入れして映画化は見事です。
 ロケが美しいのと、役者さん達が素晴らしいので、映画化の価値も高い。
 
 ま、結局、
  作者が現実を進行させながら、過去を小説を創作してゆく。
 この仕掛けを楽しめないと、映画も原作も楽しめない。

 小説世界の中で ”書いたことが現実になる” のは、
 嘘じゃないのですが、
 予告は正直とは言えない。
 それでも、
 ああこういう狙いなのかと楽しめるかどうか、
 心地よく騙されないと、低評価かもしれない。
 「風立ちぬ」や「Sonny boy」のように、バカお断りとも言ってない。
 予告詐欺の誹りは逃れられないか。
 
 よくこれがメジャー作品として成立したよな。
 インディーズ系なら、心置きなく出来るけど。
 原作読み終えて、改めて感心します。
 
 こういうタイプの映画とか小説ってあるよね。
 と許容できるなら、スクリーンで観ておいて損はない。
 小説はギブアップしてもやむなし。
 そんな評価です。
 最後に、ネタバレ前提で、考察をちょっとやります。
 
 
 
 
小説でなく映画の考察
・「鳩の撃退法」の意味
 害獣の駆逐をピーターパンの拍手から連想してる。
  ピーターパンではティンカーベルを救うため、読者に拍手を求める。
  同じように風間君が劇中で手を叩くシーンあり、
  そこで救いが描かれたりもする。

 偽札のことと示されますが、 
 場面を無理やり大きく転換することとして、
 作者がイメージを持ったのではないか。

 
・「鳩の撃退法」の作中の現実
  東京のバー「オリビア」周辺は現実。
  鳥飼編集者とのやり取りと津田の語りが、現実と小説の対比。
  
  劇中のような関係でなくとも、寄付に関与した。
   トヨエツと風間君のモデルとなる人物達と出会い、
   古本屋店主の遺産整理に関わったか。いや見聞きしただけかも。
   関与したなら、トヨエツと風間君が東京に現れるのも納得。
 
  深夜のコーヒーショップで、
   沼本店員や、
   明け方まで読書の男と会話したかどうか不明。
   モデルとなる人物は居た。

  デリヘルの送迎を経験し、
   様々な噂や事件を断片的に、見聞きする。

  地方のバーでモデルとなる人物とも出会う。
   本当にヤバいお姐さんとヤったのかは不明。

  不動産屋さんの女性と懇意になり、家を売る人の噂も聞く。
   秀吉の家族の噂もここが出どころかもしれない。
   古本屋店主の遺産整理に関係したのも、不動産関係からかも。

  地方紙や週刊誌から、失踪事件などのヒントを得る。
 
  古本屋店主の遺産整理に関連して、偽札の着想を得たかも。

 推定されるのは、それくらいでしょうか。
 物語自体は、小説の中の話ですから。
 地方都市(富山)での経験から、
  失踪事件、偽札、秀吉家の秘密を紡ぎ合わせ、
  キャラクターは複数のモデルをミックス。
 それで小説の構想を得た。
 そのくらいが、リアルな着地点と思われ。
 
 さじ加減一つなので、
 劇中のように藤原竜也が事件に巻き込まれていたとしても、
 一向に構わないけど。
 ファンタジーなクズ役は最高です。
 
 
なので、後で考えると、
もうちょっと土屋太鳳に藤原竜也が語るシーン、折々挟んでもいいかと。
あと、主要ではないですが、浜田健太はいい味出してたなと。
今改めて、思い出します。  
 
ま、
原作はやや忍耐必要でしたが、「鳩の撃退法」楽しい経験でした。 
学校教育みたいな、予め答えがあるという洗脳受けてさ、
それでも今、
こういうエンタメ楽しめるのだもの、幸福な証拠。
 
出来れば、スクリーンで味わいたい。「Sonny boy」も映画化しないかな。

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